YouTubeには、大きく目を見開いた12歳のムスタファが“A Single Rose” という詩を朗読する動画が残っている。その目を見張るほど真剣なパ フォーマンスの中で、「時間を惜しまず、生命線を分かち合い/人生は悪夢 である必要はないと人々に知ってもらうことはできないだろうか」と、12 歳とは信じがたい言葉を紡ぎ出している。3 詩と歌詞は違うとムスタ ファは言うが、詩で培ったストレートな表現力は、16 歳で書き始めた歌詞 の下地となっている。「このふたつは別々のスキルなので、それぞれ違った リズムとワードチョイスが必要です」と話す。「作詞作曲には制約があり、 コード進行やメロディ構成に従わなければなりません。それに歌には合わ ない言葉もあります。一方で、印象的な詩を書くのは難しいことです。でも 詩は無限の可能性を秘めた表現方法だと思います。つまりもっとも本質的 な形式なのです」
「詩は無限の可能性を秘めた表現方法だと思います。 つまりもっとも本質的な形式なのです」
いつか詩の世界に戻りたいと願っているムスタファだが、詩にはどうし ても不快な思い出がつきまとう。若くして詩人として注目されたムスタ ファだったが、当時の彼は詩人として「認められやすい」立場にあったとい う。つまり、多くのトラブルを抱えた仲間たちのなかで、ひとりだけ意義の ある活動をしている存在だったからだ。実際、2016 年にムスタファはカナ ダのトルドー首相の青年評議会の一員に選ばれた。4 そしていまでも、こ の決定を非難している(2020年、ピッチフォークメディアに「青年評議会 に入った当時の私は若く世間知らずでした。徹底的に主張するつもりでい ました。でも実際は、誰も私たちや家族のことなんて気にかけてくれない。 誰も私なんかに興味がなかったのです」と語っている)。「どんな人と同じ コミュニティに属したいのか。これについてもっと真剣に考えなければな らないと思います」と当時を振り返る。「いくらしっかりとした主張を持っ ていても、訴える相手によって、その主張が希薄になったり矛盾したりす る可能性があるのです」
ムスタファとの会話は、いつでもコミュニティの大切さにつながる。過 去10 年間、自分を労ることの重要性が注目され、超個人主義的な追求とし て「セルフケア」が商品化されてきた。ムスタファのように仕事とプライ ベートの境目があいまいで、また公の場で自身のトラウマと向き合わざる を得ない場合、どのように自分自身をケアする時間を作っているのだろう と不思議になり、本人に尋ねてみた。けれどもムスタファは、セルフケアは 個人ではなく共同体として追求するものだという。「イスラム教徒や東ア フリカ人の間で育ったので、集会や話し合いなど日常的にたくさんのコ ミュニティ活動がありました。食べ物や気持ちを分かち合い、寝る場所や水 を共有しました。それはいろいろな意味で、セルフケアのようなものでし た」と語り、こう続けた。「どんなに激しい非難に直面しても、自分の身近に ある愛を大切にしようと思うことができました。その愛の存在は、生きて いる証拠であり人生は終わっていない。誰かに“与える”ことで得られるセ ルフケアもあるのです」
この考え方は、自身がキュレーションし2024年初頭にニューヨークで開 催した、ガザとスーダンのための慈善コンサートにも表れている。このコ ンサートには、クレイロ、ストームジー、オマー・アポロ、ダニエル・シー ザーらが出演した。5 ムスタファは一貫して、音楽を政治的な媒体として 使ってきた。たとえば『Dunya』には、軍事占領地に住む幼なじみについて 歌った“Gaza Is Calling”という曲がある(歌詞には「君の名前を口にする たびに、戦争が邪魔をする」というフレーズがある)。この取材中、私たち民主主義の崩壊や、植民地主義や大量虐殺について学校教育で教えられて いるにもかかわらず、2024年に大学キャンパスで野営をして反戦を訴え た学生らが逮捕や拘束されるという矛盾について論じた。とはいえ、一個 人が立ち上がって発言するのは怖いことだとムスタファはわかっている。 「だからこそ、コンサートには大勢のアーティストを集めることが大切だっ たのです。ステージ上にたくさんの仲間がいることを知ったら、躊躇する気持 ちが消えると思ったから」
ザ・ウィークエンド、カミラ・カベロ、ジャスティン・ビーバーらへのソン グライターとしても知られるムスタファだが、この作業もまたコミュニ ティ的要素が感じられる。「自分の曲を書くときには味わえない喜びがあり ます。誰かの夢のなかで自分自身を矮小化させるような作用があります。 他のアーティストのため全力を尽くすことは、自分自身に注目を集める ツールを見つけることよりもずっと容易だと思っています」
そして少し間を置いて続けた。「いろいろな意味で、それがこの人生の最 適な生き方だと思っています……。自分自身を、巨大な歯車の一部と見なすことが」
このアルバムでムスタファは、すべてを失った後の自分の信仰と格闘し ている。その一方で、一部のイスラム教徒にとって音楽を作ることは「ハ ラーム」であることから、自分が曲を書くべきかどうかさえ悩んでいる。6 インターネット上には、ムスタファが信仰と音楽制作を混同していると 非難する声があるが、彼はそういった懸念に共感を示している。ムスタ ファはスーフィズム(イスラム教の神秘主義的な形態)とその音楽の素晴ら しさについて語り、信仰があろうとなかろうと、それを聴くことでより崇 高な力とのつながりを感じることができるのだと話した。「スーフィズム から大きなインスピレーションをもらっています。私がこうして活動でき る理由のひとつでもあります。イスラムにおける音楽は、そのメッセージ の内容によって、たとえばメッセージ性が純粋で、人々を善と神の道から 遠ざけるものでない限り、許されると信じている学者がたくさんいます」