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  • Music
  • Volume 46

Mustafa Ahmed
ムスタファ・アーメッド

デジタル時代のフォーク吟遊詩人。
Words by Tara Joshi. Photography by Luke Lovell. Styling by Tana Grossberg. Production by Camp Productions. Produced by Alicia Zumback. Production Design by James Lear. Grooming by Ghost (Jessica Pudelek). Studio by Edge Studios.

スーダン系カナダ人であるムスタファ・アーメッドは、悲劇というもの をよく知っている人物だ。たとえば両親がスーダンで体験した悲痛な過去、 ムスタファが育ったトロント最古の公営住宅リージェントパーク団地の貧 困と過酷な現実。そんな彼は子どもの頃から、悲しみや貧困、社会的不公平 と、音楽を通して向き合ってきた。この境遇で生まれたのが、青春時代を テーマにした辛辣なスポークンワードポエトリーや地元のコミュニティに ついて歌う清らかなフォークララバイだ。

そのためか、シンガーソングライターであり詩人でもあるムスタファ (以前はムスタファ・ザ・ポエットとして活動していたが、現在の名義はム スタファ)は、彼自身の話題よりも、より大きな社会的なテーマについて話 すときのほうがはるかに熱弁を振るう。5 月下旬に行った電話取材では「私 を生かしてくれているのは、地元コミュニティです」と語った。

子どもの頃、ムスタファは社会構造的な暴力と直接的な暴力の両方に よって、隣人や仲間を失った。衝撃的なデビューEPである2021年の『When Smoke Rises』は、無念の死を遂げた彼らを追悼するための作品だ。北米と スーダンのフォークサウンドの要素を融合させたこのミニアルバムには、 愛と怒り、そして悲痛な叫びが織り込まれている。1  同作品は国際的に成 功を収めたものの、ムスタファのトロントでの日常は暴力と無縁になった わけではなかった。2023年7 月、兄のモハメッドが自宅のすぐ近くで殺害 された。「私が人生を捧げたこのコミュニティで、兄が殺されたのです」と ムスタファは当時SNSに書き込み、その後、孤立状態に陥った。

「 地元に対しては、非常に複雑な想いがあります」。こう話す電話の向こう から、いまムスタファがいるカフェの喧騒が聞こえてくる。最近はロサンゼ ルスを拠点にしていることが多いそうだが、この日は仕事でイギリスにい た。ロンドンが好きな理由は、「重圧のないトロント」のようだからだと言う。

その重圧から距離を置きたいという気持ちは、ムスタファがトロントで 経験したことを考えれば理解できる。現在28歳の彼は、完全に故郷に背を 向けたというわけではない。「兄が殺された後、正直なところ、もうこのコ ミュニティには戻らないと決めました」と語る。「これからも戻ることはな いでしょう。戻らないとしても、アーティストとしての私の責任は、失われ つつあるものを守るために全力を尽くすことだと最初から思っていまし た。私が育ったコミュニティには高級化の波が押し寄せていますし、私の 友人や家族はつぎつぎと亡くなっています」2

ムスタファは、身に降りかかった喪失をひとりで抱えるのではなく、音 楽作品にして、より広い世界と結びつける必要性をはっきりと認識してい る。兄の死後の孤立状態から抜け出したのはちょうど、10 月7 日のハマスに よる攻撃を受けたイスラエルが、ガザへ攻撃中のときだった。「世界中でど れだけの人々の命が失われていることか」。「以前からガザで暮らすブラ ザーやマザーたちとつながりを感じてきました。無分別かつ無慈悲な方法 で殺害されています。亡くなった人々のために音楽が作れる、という特権 が自分に与えられていることを感じています」

けれども、自分や仲間たちが忘れ去られることを恐れて音楽を作ってい るのではない、とムスタファは付け加えた。「実際、あらゆる登録簿や記録 から消えることに何の抵抗もありません。私が恐れているのは、間違って 記憶されることです」。あまりにも長い間、「労働者階級の若い黒人男性の人生が、誤った認識によって書かれてきた」ことについて語り、10 代後半 をともに過ごした友人たちを犯罪者として仕立て上げ、ギャングとの関連 性を決めつける、明らかに人種差別的な記事が多数あったことに触れた。 「友人たちの追悼を他人に委ねることはできません。私がするべきです」

聴衆に向けて演奏し続け、亡くなった人々を弔うことがいかに大切か痛 感しているものの『When Smoke Rises』を聴き返すことはまだ辛すぎると 語る。そんなムスタファにとって、待望のフルアルバム『Dunya』は、新たな ステップとしては理にかなっている。ロザリア、クライロ、アーロン・デス ナー、ニコラス・ジャー、コメディアンのラミー・ユセフらとのコラボレー ションで作った曲からは、悲しみや怒り、前作への愛がまだ感じられるが、 視野がぐんと広がっているのがわかる。『When Smoke Rises』が友人たち が亡くなった後の瞬間を描いたものだとすれば、『Dunya』は友人たちが亡 くなる前の瞬間を描いたものだと話す。

ムスタファは気難しい子どもだった。授業中も騒々しく、学校内でも学 校外でもトラブルを起こしてばかりいた。そんなとき、何とかしてムスタ ファと心を通わせたかった姉から詩を紹介される。最近では、詩人を名乗る ことに抵抗を感じているそうだが、詩は創造的に自分を表現する方法を初 めて見つけた芸術形式であるという。

「私を生かしてくれているのは、地元コミュニティです」

 

(1) ムスタファは“Imaan “という曲でスーダンのミュージシャン、アブデル・ガディール・サリムをサンプリングしている。また、同じくカナダ出身のフォークミュージシャンであるジョニ・ミッチェルとレナード・コーエンから曲作りのインスピレーションを得たと語っている。

(2) リージェントパーク団地では、過去20年間で10億ドルの再生プロジェクトが行われた。2024年5月には1940年代の都市計画で最後に残った建物が取り壊された。

YouTubeには、大きく目を見開いた12歳のムスタファが“A Single Rose” という詩を朗読する動画が残っている。その目を見張るほど真剣なパ フォーマンスの中で、「時間を惜しまず、生命線を分かち合い/人生は悪夢 である必要はないと人々に知ってもらうことはできないだろうか」と、12 歳とは信じがたい言葉を紡ぎ出している。3  詩と歌詞は違うとムスタ ファは言うが、詩で培ったストレートな表現力は、16 歳で書き始めた歌詞 の下地となっている。「このふたつは別々のスキルなので、それぞれ違った リズムとワードチョイスが必要です」と話す。「作詞作曲には制約があり、 コード進行やメロディ構成に従わなければなりません。それに歌には合わ ない言葉もあります。一方で、印象的な詩を書くのは難しいことです。でも 詩は無限の可能性を秘めた表現方法だと思います。つまりもっとも本質的 な形式なのです」

 

「詩は無限の可能性を秘めた表現方法だと思います。 つまりもっとも本質的な形式なのです」

 

いつか詩の世界に戻りたいと願っているムスタファだが、詩にはどうし ても不快な思い出がつきまとう。若くして詩人として注目されたムスタ ファだったが、当時の彼は詩人として「認められやすい」立場にあったとい う。つまり、多くのトラブルを抱えた仲間たちのなかで、ひとりだけ意義の ある活動をしている存在だったからだ。実際、2016 年にムスタファはカナ ダのトルドー首相の青年評議会の一員に選ばれた。4  そしていまでも、こ の決定を非難している(2020年、ピッチフォークメディアに「青年評議会 に入った当時の私は若く世間知らずでした。徹底的に主張するつもりでい ました。でも実際は、誰も私たちや家族のことなんて気にかけてくれない。 誰も私なんかに興味がなかったのです」と語っている)。「どんな人と同じ コミュニティに属したいのか。これについてもっと真剣に考えなければな らないと思います」と当時を振り返る。「いくらしっかりとした主張を持っ ていても、訴える相手によって、その主張が希薄になったり矛盾したりす る可能性があるのです」

ムスタファとの会話は、いつでもコミュニティの大切さにつながる。過 去10 年間、自分を労ることの重要性が注目され、超個人主義的な追求とし て「セルフケア」が商品化されてきた。ムスタファのように仕事とプライ ベートの境目があいまいで、また公の場で自身のトラウマと向き合わざる を得ない場合、どのように自分自身をケアする時間を作っているのだろう と不思議になり、本人に尋ねてみた。けれどもムスタファは、セルフケアは 個人ではなく共同体として追求するものだという。「イスラム教徒や東ア フリカ人の間で育ったので、集会や話し合いなど日常的にたくさんのコ ミュニティ活動がありました。食べ物や気持ちを分かち合い、寝る場所や水 を共有しました。それはいろいろな意味で、セルフケアのようなものでし た」と語り、こう続けた。「どんなに激しい非難に直面しても、自分の身近に ある愛を大切にしようと思うことができました。その愛の存在は、生きて いる証拠であり人生は終わっていない。誰かに“与える”ことで得られるセ ルフケアもあるのです」

この考え方は、自身がキュレーションし2024年初頭にニューヨークで開 催した、ガザとスーダンのための慈善コンサートにも表れている。このコ ンサートには、クレイロ、ストームジー、オマー・アポロ、ダニエル・シー ザーらが出演した。5  ムスタファは一貫して、音楽を政治的な媒体として 使ってきた。たとえば『Dunya』には、軍事占領地に住む幼なじみについて 歌った“Gaza Is Calling”という曲がある(歌詞には「君の名前を口にする たびに、戦争が邪魔をする」というフレーズがある)。この取材中、私たち民主主義の崩壊や、植民地主義や大量虐殺について学校教育で教えられて いるにもかかわらず、2024年に大学キャンパスで野営をして反戦を訴え た学生らが逮捕や拘束されるという矛盾について論じた。とはいえ、一個 人が立ち上がって発言するのは怖いことだとムスタファはわかっている。 「だからこそ、コンサートには大勢のアーティストを集めることが大切だっ たのです。ステージ上にたくさんの仲間がいることを知ったら、躊躇する気持 ちが消えると思ったから」

ザ・ウィークエンド、カミラ・カベロ、ジャスティン・ビーバーらへのソン グライターとしても知られるムスタファだが、この作業もまたコミュニ ティ的要素が感じられる。「自分の曲を書くときには味わえない喜びがあり ます。誰かの夢のなかで自分自身を矮小化させるような作用があります。 他のアーティストのため全力を尽くすことは、自分自身に注目を集める ツールを見つけることよりもずっと容易だと思っています」

そして少し間を置いて続けた。「いろいろな意味で、それがこの人生の最 適な生き方だと思っています……。自分自身を、巨大な歯車の一部と見なすことが」

このアルバムでムスタファは、すべてを失った後の自分の信仰と格闘し ている。その一方で、一部のイスラム教徒にとって音楽を作ることは「ハ ラーム」であることから、自分が曲を書くべきかどうかさえ悩んでいる。6   インターネット上には、ムスタファが信仰と音楽制作を混同していると 非難する声があるが、彼はそういった懸念に共感を示している。ムスタ ファはスーフィズム(イスラム教の神秘主義的な形態)とその音楽の素晴ら しさについて語り、信仰があろうとなかろうと、それを聴くことでより崇 高な力とのつながりを感じることができるのだと話した。「スーフィズム から大きなインスピレーションをもらっています。私がこうして活動でき る理由のひとつでもあります。イスラムにおける音楽は、そのメッセージ の内容によって、たとえばメッセージ性が純粋で、人々を善と神の道から 遠ざけるものでない限り、許されると信じている学者がたくさんいます」

(3) “A Single Rose”が人気を博した後、『トロントスター』紙はムスタファの紹介記事を書き、アフリカの貧困やリージェントパーク団地での暴力を綴った12 歳の詩に「白人の大人たちが涙を流している」と評した。

(4) 青年協議会のメンバーは、教育や経済、気候変動など、カナダの若者に関係する事業や政策についてトルドー政府を導く手助けをする。

(5) スーダンは軍事的な権力闘争の結果、2023年4月から内戦状態にある。人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、2023年に15,000人ものマサリット人や非アラブ系住民が殺害された同国のダルフール地方での民族浄化に
対する懸念を表明している。

(6)「ハラーム」とは、イスラム法で禁じられているものを表すアラビア語の形容詞である。一部のイスラム教徒は、楽器はハラームであり、歌唱のみが許されると考えている。

ムスタファにとって、『Dunya』は信仰を見つめ直すきっかけだけでな く、地元コミュニティにおける日常を反映させるものでもあった。「ドゥン ヤはあっという間に終わりますから!」。人々を死や恐怖、復讐の醜さに引 きずり込むのではなく、その世のはかない美しさに人々が目を向けること をムスタファは望んでいる。ムスタファが愛する人たちと分かち合ってき た温かさと親密さが、ウードやフォークソング、鳥の歌、話し言葉と織り混 ざり、新たな生命と光を与えられている。とくに印象的なのは、“Leaving Toronto”という曲中にムスタファが優しいギターにのせて歌う、悲惨な シーンだ。その歌詞の内容とは「もし自分が殺されたら兄の隣に埋葬される ようにすること、そして殺人犯には弁護士を雇うだけの十分な金があるよ うにすること」というもの。ムスタファは、人々の苦悩を理解し、連帯を促 し、人々がコミュニティに集うことを望んでいる。そして何よりも、真実を 忘れないための場所を作りたいのだ。個々の人間ではなく、制度の欠陥明らかにするために。ムスタファはトニ・モリソンについて言及した。モリ ソンは小説家になる前、大手出版社ランダムハウスの編集者としての仕事 を通して、ブラックパワー運動や女性運動の声を増幅させることに何年も 費やしていた人物だ。7  「記録に収めることは私たちの責任だと思いま す。レコーディングアーティストのように、起こっているその瞬間を記録 する必要があるのです」とムスタファは話す。

ムスタファは、追求を続ける自身の人生における、音楽の重要性を強調 する。「自分の写真を見ても、その写真が撮られたときに何を感じていたの か思い出せないことがあります。撮られたことは覚えているし、微笑んで いることもわかっています。このような場合、当時の感情を思い出させて くれる第三者の存在が必要なのです。私にとって、それこそが歌。歌は、無 限のかたちをした感情の記録なんです。だから私には記憶を音にする必要 があります」

「いろいろな意味で、それがこの人生の最適な生き方だと思っています……。 自分自身を、巨大な歯車の一部と見なすことが」

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こちらの記事は Kinfolk Volume 46 に掲載されています

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