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LIFE AFTER A LEADER

リーダーが去った後の世界

  • Arts & Culture
  • Volume 48

指導者が亡くなると共同体はどうなるのか? ティク・ナット・ハンの教えを守り続けているフランスの仏教僧院について。
Words by Francis Martin. Photos by Courtesy of Plum Village.

「おじいちゃんやおばあちゃんの家に遊びに行くような感覚です」。こう微笑みながら話すのは「ブラザー・トレジャー」の名で知られる47歳のダルマティーチャー(法師)、ブラザー・トロイ・バオ・タン。剃り上げた頭に茶色の柔らかな帽子をかぶり、首に布を巻き、晩秋の寒さをしのいでいる。インドネシア出身の彼は、2009年からフランス南西部のドルドーニュ地方に本部を置く世界的な仏教共同体、プラムヴィレッジの一員として暮らしている。リトリート(瞑想会)の参加者は親しい親戚を訪ねるような気持ちでプラムヴィレッジを訪れるという。「宿題もしなくていいし、とくに何もすることもない。時間になれば、食事が提供されます」。参加者は皿洗いなどの簡単な手伝いをしたり、瞑想に参加したりすることが前提だが、プラムヴィレッジの伝統では、現実的な仕事と精神的な修行との間に境界線はない。この共同体の創設者であるベトナム出身のティク・ナット・ハン禅僧は、マインドフルに取り組めば、日常的な行動が瞑想の一形態になり得ると説いた。そのため皿洗いも「生まれたばかりのお釈迦様を沐浴させているかのように」することを勧めた。

ドルトーニュ地方にある3つのハムレット(僧院)は、果樹園と耕作地が織りなす風景の中に位置し、敷地内にはティク・ナット・ハンが1982年にプラムビレッジを設立したときに初めて歩いたウォーキングコースもある。2022年に亡くなる前に収録された法話の中で、ティク・ナット・ハンは歩く瞑想についてこう語っている。「歩いているとき、どこかに到着する必要はありません。一歩一歩のあゆみで、この場所この瞬間にたどり着いていますから」ブラザー・バオ・タンによると、戦争に反対して60年代にベトナムから亡命したティク・ナット・ハンは、最初は仏教を教えていたパリのソルボンヌ大学の石造りの廊下で、その後はドルドーニュ地方の緑豊かな渓谷で、マインドフルな歩きに安らぎを見出していたそうだ。ゆっくりと、心をこめて歩く。そうすることで「すべての困難を変容させ問題を明確にし、自分が直面していることについて考え絶望感を晴らす」ことができたというのだ。歩く瞑想はプラムヴィレッジの日常生活の一部となっている。

ティク・ナット・ハンは、弟子たちから親愛を込めてベトナム語で先生を意味する「タイ」と呼ばれていた。弟子たちにとってタイの遷化は大きな出来事だった。ティク・ナット・ハンの知恵と人々を引き寄せる磁力は代えがたいと考えられており、新たなリーダーは任命されていない。けれどもティク・ナット・ハンの教えと実践を受け継いだ僧侶たちは、プラムヴィレッジの活動を継続させている。

ブラザー・バオ・タンにとって、タイの遺志を継ぐために重要なことは、変化を受け入れることである。「変化そのものが人生です。変化なくして命はない。石ころだって環境によって日に日に変化しています。朽ちていくし、同時に強くもなる」。古代の教えに根ざした仏教のような信仰を、人によっては「前の世代のもの」「宗教はただ過去から受け継いだものでしかない」と決めつける危険性があるとブラザー・バオ・タンは話す。「それを私たちは正したいのです。白人であろうと、有色人種であろうと、性別がどうであろうと、重要ではありません。なぜなら、人は皆、愛する方法を知りたいと思い、平和を得たいと願い、思いやりを持ちたいと願い、幸福な人生を送りたいと願っているからです」

ブラザー・バオ・タンは、仏教におけるLGBTQ+のインクルージョンの提唱者として知られている。トランスジェンダーやノンバイセクシュアルの人々にも受け入れられやすいよう、プラムヴィレッジの環境を改善するよう働きかけているのだ。プラムヴィレッジの3つのハムレットのうち1つは僧侶と男性用、2つは尼僧と女性用であり、独身の参加者は通常、男女それぞれのハムレットに滞在することになっている(夫婦や家族連れはどのハムレットにも滞在可能)。だが一部のリトリートではこうした厳格さが緩和され、ノンバイナリーのためのスペースも設けられている。プラムヴィレッジのクィアの実践者、「レインボーファミリー」の精力的な行動力によって実現した試みである。

ブラザー・バオ・タンのような僧侶や一般の人々、支援者で構成されるこのグループは、「権利や受容のために戦う」ことを目的に結成されたのではない、とブラザー・バオ・タンは説明する。「誰もが自分自身を大切にする方法を知り、自分自身に戻り、精神的な家族としてお互いに支え合うことができるような空間を作るためのグループなのです」

「スピリチュアリティは日常生活から切り離されたものではありません。日常生活の中核にあるもので、切り離すことはできません」

レインボーファミリーは、数多くあるサンガ(実践者の集まり)のひとつに相当する。プラムヴィレッジでは、サンガはさまざまな形態をとっており、オンライングループなどの新しい形のものも存在する。COVID-19の大流行で世界中のコミュニティが存続の方法を模索せざるを得なくなったとき、プラムヴィレッジではすでにその準備が整っていた。「プラムヴィレッジに来ることができない人々をサポートするために、2010年にタイはオンライン僧院を始めることを思いつきました」とブラザー・バオ・タンは言う。その先見の明によって、プラムヴィレッジは、パンデミックによる閉鎖でリトリートをリモートで運営しなければならなくなる10年も前から、オンライ ンのサンガを実践していたのだった。

現在、プラムヴィレッジには約200人の僧尼が暮らし、オンラインでも対面でも、年間数千人の修行者を迎えている。けれども、スピリチュアルな実践を行っているにもかかわらず、僧尼たちがストレスから解放されているとは言い難い。この規模の僧院を運営するには、メールや財務表、スタッフミーティングなどの業務と向き合う必要があるからだ。「僧侶になる前は1つの仕事しかしていませんでしたが、僧侶になってからは5つ以上の仕事をかけ持ちしています」と話すブラザー・バオ・タン。僧院や世界各地にあるリトリートセンターでのダルマティーチャーとしての任務に加えて行っている調理や清掃といった肉体労働について詳しく説明してくれた。「急いでやらなければならないことやストレスを感じることもあります。けれども、それはしかるべきことであり、最終的には私たちの幸福につながるのです。たとえば、その結果プロジェクトが完了するとか、駅に時間通りに到着するとか」

このようにプレッシャーを感じることもあるが、僧侶になる前の生活と比べると、僧院で働いているときは「より多くの空間と時間」を感じられると話す。多忙な毎日でも、世俗の仕事ではおそらく多くの人が感じられないような目的意識を持って仕事をしているからだろう。ブラザー・バオ・タンは、僧院にいるほうがマインドフルネスを実践しやすいと認めているが、ティク・ナット・ハンのマインドフルネスの教えは、誰もが積極的に瞑想を生活に取り入れられるようにするためのものだった。瞑想は、人々が世界と完全に関わることができるようになる方法だと考えていたのだ。「先生はいつも、関わりを持たなければ、それは仏教ではないと仰っていました。スピリチュアリティは日常生活から切り離されたものではありません。日常生活の中核にあるもので、切り離すことはできません」

だからこそ、プラムヴィレッジは、世俗からの安らぎを求めるすべての人々に手を差し伸べているのだ。誰でも条件なく受け入れている。「私たちは誰かを改宗させるつもりはありません。それよりも大切で切実なのは、人々を平和と幸せへ導くことだと思っています」

パリ近郊のヴェルデロット村にある プラムヴィレッジの マインドフル実践センター 「ヒーリング・スプリング僧院」で暮らす ブラザー・バオ・タン。

パリ近郊のヴェルデロット村にある プラムヴィレッジの マインドフル実践センター 「ヒーリング・スプリング僧院」で暮らす ブラザー・バオ・タン。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 48 に掲載されています

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