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THE LONG ARM OF THE AGA KHAN

遠くまで届くアガ・カーンの力

  • Arts & Culture
  • Volume 48

イスラム教の遺産を活性化させているアガ・カーン文化基金。同基金のディレクター、ルイス・モンレアルとともに、マンジュ・サラ・ラジャンが最新プロジェクトを探る。
Words by Manju Sara Rajan . Photos by Vansh Virmani.

インドにいる人々は、物語とともに生きている。ジン(精 霊)や神々、皇帝、統治者、映画界のアイドル、詐欺師、救 世主の物語。私たちは、インド建国当初の独創性を神話化 し、武勇伝やロマンスを語り、植民地主義やその残虐性に 苦しめられた過去を嘆く。そして毎年8月15日の独立記念日には、1947 年インド独立運動の指導者で初代首相ジャワハルラール・ネルーが 「長い間抑圧されていた新しい独立国家の魂が声を発した」と言った ように、新たな国家として目覚めた瞬間を国民全体で祝うのである。  新しいインドを創造する過程で、多くのものがないがしろにされ た。とくにその対象となったのは、インドの長く複雑な歴史を見守っ てきた建築。けれども最近になり、アイコニックな遺跡や歴史的建造 物を復活させる動きが盛んになっている。それは、インドのレジリエ ンス、貧困、テクノロジーの飛躍的進歩など、この国が抱えるあらゆ る矛盾が、建築と深く関係しているという考えからだ。

私はこの冬、ニューデリーのアガ・カーン文化基金(AKTC)で2日 間過ごした。AKTCは、都市再開発のさまざまな取り組みを通じて、 放置されたままの歴史的建物の復元に取り組んでいる団体である。 現在、AKTCはインド首都の中心部の300エーカーに点在する複数 の施設や文化遺産を管理している。手がけた事業の一部を挙げると、 90エーカーの広大な公園スンダー・ナーサリーの再開発、ニューデ リーでもっとも古い集落の1つであるニザマディン・バスティの再 建、フマユーン廟(タージ・マハルが建設される以前のイスラム世界 で最大の墓廟)の修復をしており、さらに2024年7月にはインドで もっとも新しい博物館、フマユーン廟博物館を開館している。

これらの活動には多額な費用を要する。AKTCは、創設者であり会 長であるカリム・アガ・カーン4世殿下(アガ・カーン)の名前を冠し た、アガ・カーン開発ネットワーク(AKDN)という大規模な組織の 一部にあたる。彼はイスラーム教シーア派のイスマーイール派から 分派したニザール派の49代目の世襲イマーム(精神的指導者)であ り、世界でもっとも裕福なイスラム教徒の投資家の一人だ。

ニザール派は、シーア派の中の比較的小さな宗派である(イスラム の2大宗派のうちの少数派がシーアで、多数派はスンニ派)。イスマー イール派は世界25カ国に居住しており、北米、ヨーロッパ、アジア、ア フリカに大きなコミュニティがある。イスマーイール派の割合が少な いことを考えるとAKTCの地域社会への働きかけは桁外れに大きく 感じられる。アガ・カーンは、倫理的に富を築き使う方法を説き、発 展途上国や最貧困層の経済的自立を促進するための資金援助を行っ ている。30カ国に約9万人の従業員を抱えるAKDNは、1,000のプログラムや機関を運営する世界最大級の民間開発機関である。

「私たちは人々共通利益のために活動しているためてなくしています

また、AKDNの事業は、異なる文化や宗教に配慮したものであり、 特定の宗教や文化に偏らない中立的な立場を取る。AKDNの傘下に ある9つの機関のひとつが、非営利団体であるAKTCだ。AKTCはイン ド以外にも、アフガニスタン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、カナダ、エジプ ト、マリ、パキスタン、シリア、タジキスタン、タンザニアなど、世界各 地で文化事業のパートナーとして先見的な役割を果たしてきた。

この22年間、ジュネーブを拠点とするAKTCの指揮を執ってきた のは、スペイン人の考古学者、美術史家、作家であるルイス・モンレア ルだ。モンレアルとアガ・カーンの交流は、建築家フランク・ゲーリー からアガ・カーン建築賞の審査員を任されたことに始まる。アガ・ カーン建築賞は、イスラム教徒が多く存在する地域を中心に社会的、 文化的、環境的な価値を持つ建築物やプロジェクトを評価し、表彰す る名誉ある賞である。欧米中心の評価では無視されがちな世界各地 の建築やプロジェクトに大きな注目を集めるためのものである (AKDNの取り組みにイスラム教の教えや価値観が反映している部 分があるとすれば、それはイスラム教徒が多数を占める国々を活動 地域に選び、イスラム文化の世界への貢献に対する理解を深めるこ とに慈善活動の重点を置いていることである)。「イスマーイール派 のコミュニティが存在しない多くの国でも活動しています。私たちは人々の共通の利益のために活動しているため、分け隔てなく接し ています」とモンレアルは話す。

今日、モンレアルと私は、ニューデリーでもっとも密集した貧困地 域のひとつであるニザマディン・バスティにいる。現在も礼拝に使わ れているデリー最古のモスクであるジャマート・カーナの尖塔を中心 に、テトリスのブロックのように建物が無秩序に並んでいる。この地 域は、14世紀のスーフィー(イスラーム神秘主義)の聖者であるハズ ラット・ニザマディン・アウリヤにちなんで名づけられている。ここ にはニザマディンが埋葬されたダルガー(霊廟)もある。巡礼者に とって聖地である。毎日、何千人もの人々が狭い路地を通り抜け、年 間推定400万人が霊廟を訪れる。ニザマディン・バスティにいると、 まるでエドウィン・ロード・ウィークスが描いた絵の中にタイムス リップしたかのような気分になる。バラの花びらやジャスミン、揚げ たてのスナック菓子、香水オイル、生ゴミ、噛みタバコなど、さまざ まな香りが混ざり合い、刺激的な空気に包まれている。

16世紀半ばから19世紀初頭まで、インド亜大陸の広範囲を支配し たムガル王朝は、ニザマディン・バスティ周辺に、墓廟や宮殿、その他 の建造物など、珠玉の建築物を残した。AKTCは資金パートナーとと もに、ニューデリーで教育プログラムや医療施設を運営し、大規模な 改修工事を実施している。モンレアルによれば、このような活動は 「建築は社会の役に立つもの」というアガ・カーンの信念から生まれ たものだという。

1997年以来、AKTCはインド国内で、異なる政治的立場を持つ政府 や、インド考古学調査局、中央公共事業局、デリー市公社など、複数 の中央・州機関とパートナーシップを築いてきた。「このような大規 模なプロジェクトは、私たちのような民間機関だけでは対応できま せん。地元の公共のパートナーが必要なのです」とモンレアルは語 る。「市民の観点からも非常に重要です。さまざまな組織やパート ナーとの協力があってこそ、修復された建築が市民に開放され、利用 が可能になっているのです」

ニザマディン・バスティから少し歩いたところにあるスンダー・ ナーサリーは、90エーカーもの広さを誇る緑地である。近隣の狭い 路地の密度とは対照的に、穏やかな雰囲気を醸し出している。16世紀 にイギリス人が、大英帝国のほかの地域から輸入した植物の苗木を 栽培、実験する植物園として設立された場所だが、長年放置されてい た。AKTCの尽力により、伝統的なイスラム庭園の原則に従って幾何 学的かつ形式的に再構築された。四方に流れるイスラム建築特有の 水路が秩序を感じさせる。クジャクが飛び交う光景は、まるでムガー ル帝国時代の細密画に命が吹き込まれたかのようだ。

モンレアルは、歴史的プロジェクトに対するAKTC独自の視点が、 地域社会に強く影響を与えたと話す。「ごく最近まで、多くの公的機 関や政府間機関は、文化遺産を不活性資産だと見なしていました。当 基金は25年前から、文化遺産は雇用や社会経済的発展、文化的理解を 生み出す、経済的に持続可能で、収益を得るために役立つものだとい う考えを広めてきました。私たちのように、保護、社会開発、教育と いう視点で歴史的都市に関わっている団体はほとんどありません。 この手法は、すべての側面を融合させ、ひとつのプロジェクトとして 持続させることができます」

砂漠地帯で生まれたイスラム教にとって、水や花、木は象徴的な存 在で、人々と強いつながりがある。アラビア語には「庭」や「楽園」を意 味するジャンナトという言葉があり、正しい生活を送った者にとっ て至福の永遠の安息の地、天国も意味する。イスラム建築には、自然 の壮麗さとの象徴的な結びつきが強く表れている。だからこそ、本来 であれば自然がないような場所に緑地をもたらしたスンダー・ナー サリーの修復は、AKTCのもっとも影響力のある取り組みであったと いえるだろう。さらに、カブールやカイロなど、政府の優先事項に公 園が入っていない国においてもAKTCは公園を整備し、管理し続けて いる。

その第一号はカイロのアル・アズハル公園だった。1984年、エジプ トの建築家ハッサン・ファトヒーの自宅の屋上からカイロの街を見 渡したアガ・カーンは、都市公園の建設資金を提供することを提案し た。当時、カイロの人口1人当たりの緑地面積は、世界で最小レベル だったのだ。しかし、その提案から約20年が経過した2002年にモン レアルがAKTCで仕事を始めたとき、公園はまだ建設されていなかっ た。というのも、AKTCに提供された土地は、手がつけられないほど 瓦礫と廃棄物で埋め尽くされた75エーカーの高台のアル・ダラサ丘だったからだ。「目の前にある社会問題に取り組むことなく、現代的 な公園だけを作ることは無理でした」とモンレアルは説明する。

「目にある社会問題むことなく現代的公園だけをることは無理でした

「このようなパートナーとの協力は、 市民の観点からも非常に重要です」

AKTCはアル・ダラサ丘に隣接するダルブ・アル・アマー地区の復 興に着手し、住居と医療を改善すると同時に、同地区の歴史的建造物 を修復した。「土地を掘り始めると、10世紀のファーティマ朝やアイユーブ朝の城壁が現れました。そこで、プロジェクトの新たな要素として、中世カイロの城壁跡1.5キロメートルを修復することになりました」とモンレアル。現在は、年間約200万人の訪問者がおり、見学 料は1ドルにも満たない金額だが、完全に自給自足で運営している。

アル・アズハルのプロジェクトは、インドで実現可能なことの原型となった。建築家ラティーシュ・ナンダが率いるAKTCインドチームは、ニザマディン・バスティ周辺の歴史的建築の多くを修復しただけでなく、イスラム建築群の「ヘリテージトレイル」を作り上げた。この場所は、デリー版のセントラルパークとなる可能性を秘めている。

平日の午後遅くに訪れたスンダー・ナーサリーは、活気に満ちていた。ピクニックを楽しむ人々、散歩をするカップル、ジョギングをする人。有害スモッグによる大気汚染が悪化し、ニューデリーの街が霞んでいることがニュースになっていても、ここには、秩序と緑豊かな現実が広がる。言ってみれば、生きている者のためのジャンナトなのだ。

最後に向かった先は、去年の夏に開館したばかりのフマユーン廟博物館だ。館内には、ムガル帝国の物語や遺産、文化の多様性が、展示品と詳細なストーリーテリングによって展示されている。ムガルといえばタージ・マハルのイメージが強いが、これらの見事な展示内容からも王朝が残した影響力が生き生きと伝わってくる。物語の上に築かれたインド文化において、AKTCは私たちインド人を少しでも理解する手助けをしているのかもしれない。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 48 に掲載されています

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