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HOME TOUR: VILLA VENTORUM
ヴィラ ・ヴェ ントラム

近代イギリスにおける古代ローマの遺跡。
Words by Ali Morris. Photography by Alixe Lay.

  • Interiors
  • Volume 47

近代イギリスにおける古代ローマの遺跡。
Words by Ali Morris. Photography by Alixe Lay.

イングランド南西部のサマセットにある絵画のように美しい敷地の一角で、1832年作業中の労働者が地中に思いがけないものを見つけた。その場に考古学者がいなかったため、歴史好きの地元の牧師に詳しく見てもらった結果、発見されたのは4世紀にコンスタンティウス2世が統治していた時代のローマ帝国のさまざまな硬貨と、ローマ時代のヴィラの遺跡らしきものだということが判明。ヴィラとは富裕層の住居または別荘を意味する。その後2世紀近くにわたり断片的に発見が続き、最終的にはローマ時代の邸宅が再建され、〈ヴィラ・ヴェントラム〉が誕生することになった。

ローマ時代に建てられていた位置から目と鼻の先に再建された〈ヴィラ・ヴェントラム〉は、まさに考古学者とホテル経営者の前代未聞のコラボレーションの賜物だ。手がけたのはこの敷地を2013年に購入した現オーナー夫妻である、通信業界の億万長者である南アフリカ人のクース・ベッカーと、南アフリカ版『エル・デコ』誌の元編集長カレン・ルース。18世紀に建てられた〈ハドスペン・ハウス〉を10年がかりで再建するプロジェクトの一環として、〈ヴィラ・ヴェントラム〉も再建され、2022年に公開された。

この敷地での最初のプロジェクトは、ジョージ王朝時代のマナーハウスをホテルとスパに改装し、ホテルの本館〈ハドスペン・ハウス〉を開業することだった。そしてすぐさま、農業用の建物を再利用したホテルの別館、ショップ、レストランが次々とオープンした。広大な敷地内には、手入れの行き届いた30エーカーの庭園、自家製のチーズやサイダー、食肉、さらにはクリーンエネルギーを生産する生態系を支える数百エーカーの森林と農地がある。そこでは会員向けに、昆虫学、生物多様性、再生農業の専門家が指導するさまざまな文化的・教育的プログラムも開催している。敷地内に生息する多くの小さな両生類に敬意を表し、この施設は〈ザ・ニュートインサマセット〉と命名された。ニュートとはイモリを意味する。現在では、ゲストをもてなすための施設というよりも、先見性のある観光名所という位置づけとなっている。

ベッカーとルースの洞察力、そして無限とも思える財力を考えれば、ローマ時代の遺跡を〈ザ・ニュート〉が提供する施設の一部として公開することは必然だったのかもしれないが、専門家たちはそのプロジェクトの規模と野心に驚いた。2015年に考古学者チームが開始した遺跡の発掘作業は、民間資金による英国最大の発掘プロジェクトとなった。2021年に〈ザ・ニュート〉専属の考古学者兼展示責任者となったリック・ウィークスは、「考古学の世界は実はとても狭いので、このプロジェクトの存在は、発掘が始まった2週目くらいから知っていました」と振り返る。「ローマ時代の遺跡はイギリスではごく一般的なものですが、これほど大規模な調査が行われたのは初めてで、しかもその期間が1年半という異例の長さでした。それだけの時間があれば、年代を掘り下げ、状況を詳しく理解することができます」

調査により、このヴィラは、最初は鉄器時代の集落跡に3部屋だけの質素な農家として建てられたことが判明した。3世紀から5世紀にかけて、おそらく所有者の財産が増えるにつれ改築・増築が繰り返され、ダイニングルームやより豪華な浴場が加えられたようだ。そしてローマ帝国がイギリスを去った5世紀初頭以降は廃屋となった。発掘調査が終わる数日前に、クロスボウの形をしたブローチが発見された。ウィークスによれば、世界で7つしかない珍しいブローチだ。おそらく神への捧げ物として、部屋の床下にあった箱の中に大切に納められていたのだろう。それは、このヴィラが最盛期を迎えていた紀元350年頃、権威のある職務につき、相当の地主であった貴族が暮らしていたことを示していた。「現在の大富豪に相当します」とウィークスは言う。

ブローチは現在、ヴィラの近くのガラス張りの新しい博物館に飾られている。ほかにも、狩猟の女神ディアナやワインの神バッカスが描かれたモザイク画や、ヴィラの発掘調査で発見された無数の出土品が展示されている。そこからぶどう畑の中にある小道を歩いていくと、まるでベヌヴィルの絵画のようななだらかな緑の風景の中に、原寸大に再建築された〈ヴィラ・ヴェントラム〉が現れる。建材は近くのハドスペン採石場で採れたはちみつ色の石。その上から手作りのテラコッタタイルが敷き詰められ、建物を囲むのは薬草園だ。サイズは幅約180フィート、長さ約70フィート。ローマ時代の当初と同様のT字型の間取りを採用し、ベッドルーム、キッチン、ローマ式浴場はすべて、古代ローマ人が使用したのと同じ地元の材料と製法で再建されている。

「2016年の発掘調査の後、オーナー夫妻と建築家らは、土の中に見つけた遺跡を再構築できないかと考えました。そこでサウスウェスト・ヘリテージ・トラストの協力者をはじめ、多くの専門家が集結し、この壮大なアイデアを実現することができました」とウィークスは語る。

「ヴィラのデザインは、 私たちが理想とする 現代の暮らし方と 重なる部分が多い」

西暦43年から410年頃までの350年以上、英国はローマ帝国の一部だった。古代ローマ人の侵入前、ブリテン島の島々は単一の政治的、文化的アイデンティティを持っていなかった。古代ローマ人によって町、道路、軍の駐屯地、中央集権的な政府がもたらされた。撤退後多くは廃れたものの、一部は豊かな考古学的遺産として残っている。ヴィラや町、要塞や壮大なハドリアヌスの長城など、現在でも英国各地で名残を見ることができる。

〈ヴィラ・ヴェントラム〉は現在、〈ザ・ニュート〉の会員向けにガイド付きツアーとして公開されている。このような再建プロジェクトは、少し間違えばテーマパークのようになってしまう危険性があるかもしれない。けれども〈ザ・ニュート〉のチームの細部への徹底的なこだわりのおかげでその心配はない。たとえば、置かれている家具から提供される飲食物(リコッタとケシの実を練り込んだパンや、サフラン、白ごま、はちみつで作られた甘いローマ式ワインのコンディトゥム・パラドクスムなど)まで、すべてが考古学的証拠に基づいている。ウィークスは、〈ヴィラ・ヴェントラム〉の正面玄関のデスクの上に置かれた、丸みを帯びたグラスを手に取り、こう言った。「これはIKEAで売っているグラスのように見えるかもしれません。けれども、出土品のグラスの縁のわずかな欠片を大英博物館に送り、地中海に現存するグラスと照らし合わせて分析した結果に基づいて作りました。非常に規格化された工程で作られていたため、同じ型を見つけることができたのです」。そのグラスを再現するために、ウィークスのチームはベネチアのムラーノ島にあるガラスメーカーにコンタクトを取った。当時と同じクオリティで製造できる世界で唯一のメーカーだという。

荒打ちしっくいの壁には、エレガントな縁取り、古典的なモチーフ、風景画、肖像画があしらわれている。版築の床に散りばめられた複雑なモザイクは、地元で採石された石を使ってケンブリッジ大学のチームが作った。遺跡から発掘された石と同じものが使われている。浴場のテピダリウム(低温浴室)とカルダリウム(高温浴室)のフレスコ画には、イタリアから保存修復の専門チームが招かれ、ブオン・フレスコと呼ばれる、現代ではほぼ廃れた伝統的な手法で、濡れた漆喰の上に直接絵を描いた。「装飾はステータスを示すためのものでした。貴族は非常にスノッブだったので、客人を圧倒するために浴場にも財産をつぎ込みました」とウィークスは話す。

建物の正面には、両脇に鋳造ブロンズのオイルランプが配されたアーチ型の玄関がある。扉を開け放すと建物の反対側へ抜けて庭へと続く景色が見え、玄関のアーチがまるで額縁のようだ。その左右対称性と見事な調和は、英国の壮麗なカントリーハウスや庭園の建築を彷彿とさせる。〈ヴィラ・ヴェントラム〉のデザインは、ウェルネスとリラクゼーションを重視する、私たちが理想とする現代の暮らし方と重なる部分が多い。ポルティコ(屋根付きの回廊)や造園された庭園を通して、屋内と屋外の空間は容易に行き来することができる設計になっている。そして現代のスパにあたる浴場施設には床暖房が完備され、当時の人たちは一日に何度も利用していたようだ。1 身分の高い来客をもてなすための部屋タブリナムは、建物内でおそらくもっとも華やかな部屋だ。ここで客人は、優雅な長椅子に横たわりながら、装飾的な二層吹き抜けやロマンチックな壁画を眺めながら、ワインと食事を楽しんだとされている。

考古学研究が商業と密接に結びついていることに批判的な意見を持ち、その価値や信憑性に疑問を抱く人もいるかもしれない。ローマ時代に着想を得た陶器や関連書籍は、ギフトショップで購入することができるし、周辺に植えられたピノ・ノワールのブドウの木(もちろん、ローマ時代同様に一本仕立ての剪定をする)が初収穫を迎えたら、出来上がったワインは包装され、間違いなく来園者に販売されることだろう。運営チームは、同施設が文化的なものと商業的なものの間の微妙な境界線に立っていることを自覚しており、うまくバランスをとるよう注力している。まさに、学問と観光が融合したこのユニークな手法だからこそ、語られる機会がなかった歴史がこのように魅力的な姿で蘇ったのである。

「このプロジェクトのゴールのひとつは、ローマ人がサマセットにいた理由をより明確に、そして多くの人に伝わるように説明することでした」とウィークスは話す。「考古学では、発掘した石を眺めて、石の背景にある、より大きな何かを考えるように教わります。でも実際には、建物を土の中から掘り出して、再建してみて初めてその存在を実感できるのです。これこそが〈ヴィラ・ヴェントラム〉と他の発掘プロジェクトの違いです。私たちがここで提供しているのは、本当の意味で没入できる体験なのですから」

「装飾はステータスを 示すためのものでした。 貴族は非常に スノッブだったので」

(1) ローマ時代の入浴には決まったプロセスがあった。入浴者は、フリギダリウム(冷水プールがある部屋)からテピダリウム(低温浴室)、そしてカルダリウム(高温浴室)へと進み、再びフリギダリウムに戻って、冷水を浴びる。

(1) ローマ時代の入浴には決まったプロセスがあった。入浴者は、フリギダリウム(冷水プールがある部屋)からテピダリウム(低温浴室)、そしてカルダリウム(高温浴室)へと進み、再びフリギダリウムに戻って、冷水を浴びる。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 47 に掲載されています

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