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A. G. Cook
A・G・クック

この夏のトレンド“ブラット・サマー”を生み出したハイパーポップのヒットメーカー。
Words by Tom Faber. Photography by Emman Montalvan. Styling by Carlee Wallace. Set Design by Kelly Fondry. Digital Tech by Alex Woods. Grooming by Nicole Maguire with TMG Agency, using Oribe and Tom Ford.

  • Music
  • Volume 47

この夏のトレンド“ブラット・サマー”を生み出したハイパーポップのヒットメーカー。
Words by Tom Faber. Photography by Emman Montalvan. Styling by Carlee Wallace. Set Design by Kelly Fondry. Digital Tech by Alex Woods. Grooming by Nicole Maguire with TMG Agency, using Oribe and Tom Ford.

イギリスのシンガーソングライター、チャーリーXCXがライブで“360″を演奏するたびに、「You gon’ jump if A.G.made it!」のこの部分に差しかかると、その瞬間を待ちわびていた観客は、空中にジャンプする。大ヒットアルバム『Brat』(訳註:悪ガキの意味)のオープニングトラックの歌詞に登場する「A.G.」とは、チャーリーの楽曲の多くをプロデュースし、彼女のブランドのクリエイティブコンサルタントを務めるA・G・クックのことだ。派手でクレージーで楽しいチャーリーの音楽性、そして2024年の夏にカルチャー現象となった『Brat』の成功が、クックの魔法のような才能のおかげであることを、チャーリー自身も彼女のファンも知っている。

クックは、良いアルバムに仕上がったという感触があったが、その熱狂的な反響の大きさには驚かされたという。「こんなにメジャーになるとは誰も予想していなかったと思います」と、薄汚れたナイトクラブから世界政治の上層部まで、世界中を席巻した同アルバムについて話す。カマラ・ハリスの姿勢をチャーリーと比較するミームがSNSで拡散され、このインタビューの数日前、ハリスの大統領選挙キャンペーンのXアカウントは、『Brat』のアルバムジャケットと同じネオングリーン色をバナーに採用した。「信じられませんでした」とクックは笑いながら言う。「やり方としては理解できるけれど、完全にイカれていると思いました」

しかしこの出来事は、クックのこれまでの活躍を見れば驚くことではないだろう。『Brat』の成功はクックの業績のほんの一部に過ぎないのだから。時代をリードするレコードレーベル〈PC Music〉の創設者として、クックは10年以上にわたりポップシーンの中心的人物だ。共同制作者は実験的アーティストから大物歌手へと進化し、いまではビヨンセ、デュア・リパ、レディー・ガガなどのアーティストにも起用されている。クックのキャリアは、その膨大なアウトプット量から過激なハイパーサウンドまで、すべてが強烈だ。しかしロサンゼルスの自宅にいるクックとビデオ通話をすると、窓から差し込む光に背後を照らされた彼は、落ち着いた普通の男性に見える。外見で特筆すべき点は、丸眼鏡とシャギーなマッシュルームカットの茶髪だろう。YouTubeのある動画に「A・G・クックはビートルズのメンバー全員をひとまとめにしたようだ」という高評価されたコメントがあるのも納得のルックスだ。

クックと話していると、まるで温厚なポップミュージックの研究者と話しているような気分になる。何か質問をすると、さまざまな例を出しながら、時には自問自答しながら、その問いに答えていくのだ。たとえば、『Brat』がこれほどの成功を収めた理由を尋ねると、パワーポイントのプレゼン資料を用意しているのではないかと思わせるほど、詳細かつ明確に答える。楽曲を完成させるためにどれだけの時間を費やしたか、入念なマーケティングキャンペーンを行ったか、そして何よりも、このアルバムが持つ率直さがいかにファンの共感を得たかということを語った。「このアルバムは、これまででもっともチャーリーらしい作品にしようと頑張りました。音楽的にも歌詞的にも、超透明であることにこだわりました。ポップミュージックはアーティストの人格そのものだから」

何がポップミュージックであり、何がそうでないか、あるいは何がポップミュージックになりえるか……。クックは多くの時間を費やして考えている。そしてこれこそが、クックの先駆的レーベルである〈PC Music〉がアプローチした根本的な問いであった。クックがレーベルを立ち上げたのは2013年。当時22歳で、先進的な考え方で定評のあるロンドンの芸術大学ゴールドスミスで音楽&コンピューティングの学位を取得したばかりだった。20世紀の電子音楽を研究していたクックは、「本物の」楽器で演奏されるアコースティック音楽と、数学的、実験的、非人間的とみなされるコンピュータ音楽が、学術的に区別されていると気づいた。そしてそれは時代遅れのパラダイムだと感じた。「Garage BandやSkype、初期のソーシャルネットワークを使っている人たちを見てこう思いました。誰もがコンピュータを持っていて、これはもはや珍しいものではない。みんなコンピュータをいじって遊んでいる。ラップトップは現代の民族楽器のようなもの。みんなの手元にいつでもあるのだから」。クックはコンピュータ音楽に対する古い考え方に異議を唱えようとした。「そして、ポップミュージックこそがそれを実現するのにふさわしい舞台だという確信がありました」

同じ志を持つアーティストで構成された〈PC Music〉は、さまざまな別名義を使い分け、次々と楽曲を発表した。作品は、誰が実在の人物で誰がアバターなのか、誰が本当に歌っていて誰がリップシンクしているのか、はっきりしないこともしばしばだった。このようにして彼らは、インターネット世代におけるポップ界のペルソナの可能性を追求した。入門編としては、ベストトラックを集めた3枚のコンピレーションアルバムを聴くのが良いだろう。これらを続けて聴くと、疲れるほど刺激的な体験ができる。何かにたとえるならば、「故障したポップミュージック製造機の本体に入り込んでしまった」感覚。ほとんどの楽曲は、「スピーディで、激しく、ありえないほどカラフル」なダンスポップの型にはまっている。ユーロダンスの派手なシンセサイザーのサウンドやハッピーハードコアのシマリスの声のボーカルなど、ダサいと思われるジャンルの要素を取り入れることも多い。

初期のコラボレーターの中には、現在キャロライン・ポラチェクやデュア・リパのプロデュースを手がけるダニー・L・ハールや、クックが「ポップと実験的アートの間の壁をほぼ取っ払っている」と賞賛したこともあるプロデューサー、ソフィーがいた。クックはこの時期を、強烈な創造的インスピレーションの時代だったと語る。「私たちは四六時中ポップミュージックを作り、考え、語り、解読しようとしていました」

〈PC Music〉の特徴は、特定のサウンドを作る集団というよりも、むしろ「自分自身と対話し、メインストリームとアンダーグラウンドの両方と対話するような音楽性」だったとクックは説明する。同レーベルは、従来の音楽業界のアルバム発売のサイクルを無視し、オンラインに特化したリリース戦略を開拓した。DJミックスやYouTube動画、チープな作りのウェブサイトを巧みに利用し、作品を断片的に告知した。そのイメージは、消費者文化やセレブ文化が持つ、もっとも低俗でギラついた側面をあえて取り入れたものだった。クックとソフィーが作った“HeyQT”は、架空のエナジードリンクの広告をテーマにした曲だ。目まぐるしく弾ける花火のようなポップチューンはクラブアンセムとなり、痛快でありながら深く心に響く、同レーベルの最高曲のひとつとなった。

けれども、クックらの音楽を不快に感じる人も多かった。「友人たちはみんな、私たちが作っているものはひどい音楽だと思っていました」とクックは振り返る。「私たちの曲は、人が集まらないクラブナイトでかけられていました。友人たちから……」とまで言うと一旦話すのを止め言葉を探した。「まあ、ゴミのような音楽だと思われていました」。クックは、ロンドンのエレクトロニックミュージック・シーンが、ダークで男性的、シリアスであった当時、〈PC Music〉のプレイフルでフェミニンな雰囲気が、人々の抵抗感を生んだと分析している。

音楽批評家たちがとりわけ論じたのは、〈PC Music〉の活動は誠実なものなのかという点だった。アートスクール出身のヒップスター集団が、音楽理論を無視し、ネット上での悪ふざけをしながら業界を荒らしている、と捉えられたからだ。メディアも困惑し、「ポップの未来か、人をバカにしたパロディか」という見出しもあった。

「ポップミュージックに関しては、厳密な意味でオーセンティックか、などということは気にしていません」とクックは話すが、彼のプレイフルさには、音楽への純粋な愛が感じられることは、言うまでもないだろう。2014年のハロウィンの日、〈PC Music〉はYouTubeでふざけたカメラエフェクトや粗末な3Dグラフィックをふんだんに使ったライブ配信を行った。DJセット中、クックは黒ずくめの服装に不気味なメイクを施している。驚くほど背が高く、痩せている。プレイしながらダンスするその動きは自由奔放でありながら、力強さと優美さを併せ持つ。その様子から、いかにクックが深く音楽を感じているかが伝わってくる。「私たちには、自分たちの音楽が本物だとはっきりとわかっていました」

当初受けた非難は〈PC Music〉の活動を止めさせるどころか、活気づけたとクックは話す。すぐにコロムビアレコードとパートナーシップを結び、チャーリーXCX、キャロライン・ポラチェク、カーリー・レイ・ジェプセン、ソフィーなど、定期的な共同制作者たちと“ファミリー”を築いた。「私の音楽的成長でもっとも大きかったのは、一緒に世界を敵に回しても構わないと思えるような仲間を見つけられたことです」

〈PC Music〉の先見の明は、同業他社が彼らの手法を模倣し始めたときにようやく証明された。今日、TikTokをスクロールすると、〈PC Music〉が10年前にリリースしていたような超高速で超メロディックなチューンが流れてくるだろう。ファンが暗号を解読するために用意した“イースターエッグ”と呼ばれる隠しヒントも、いまやテイラー・スウィフトのようなアーティストが採用するマーケティング手法となっている。1消費文化と、消費者パーソナリティとブランドパーソナリティの衝突に対するクックらの批判は、インフルエンサーの時代にはもはや挑発的とは感じられなくなった。そして「セルアウト(売れるために魂を売る)」という言葉も、いまや何の意味も持たない。そして、現在「ハイパーポップ」と呼ばれるジャンルの音楽を作っている若い世代のアーティストたちにインスピレーションを与えている。ジャンルの生みの親であるクック自身は、この言葉にはアンビバレントな感情を抱いていると公言している。

〈PC Music〉の反主流のアイデアが主流になってしまうと、クックらは存在意義を失い始めた。論争を巻き起こすことがなくなったのなら、何のために活動を続ける意味があるのだろう。2023年、クックは〈PC Music〉の運営に終止符を打った。メジャーレーベルに売却されるのではなく、自らの意思で終了することを選んだのだった。このころから、自分名義で数えるほどしかシングルをリリースしてこなかったクックが、目立たない存在からポップスターへの一歩を踏み出すようになる。すべてが一変したのは2020年、49曲を収録した7枚組アルバム『7G』をリリースしてからたった1カ月後に、新アルバム『Apple』を発表したときだった。『Apple』はクックの高いプロダクションスキルを明確にするもので、一枚一枚のディスクがひとつの楽器に特化した『7G』は、よりコンセプチュアルな作品に仕上がっている。

「友人たちからは、 ゴミのような音楽だと 思われていました」

(1) 隠しメッセージとしての最初のイースターエッグ(キリストの復活祭に子どもたちが隠された卵を見つける遊びから名付けられた)は、1976年、ビデオゲーム『Adventure』に秘密の部屋に隠された「ウォレン・ロビネット作」と書かれた点滅するスクリーンだった。これは、開発者として自分がクレジットされないことを知っていたウォレン・ロビネットが、発売元のワーナー・コミュニケーションズに反抗するために残したメッセージだった。

このころから、自分名義で数えるほどしかシングルをリリースしてこなかったクックが、目立たない存在からポップスターへの一歩を踏み出すようになる。すべてが一変したのは2020年、49曲を収録した7枚組アルバム『7G』をリリースしてからたった1カ月後に、新アルバム『Apple』を発表したときだった。『Apple』はクックの高いプロダクションスキルを明確にするもので、一枚一枚のディスクがひとつの楽器に特化した『7G』は、よりコンセプチュアルな作品に仕上がっている。

クックがソロ名義で発表する音楽では、ポップミュージックと実験音楽のふたつの世界を融合しているが、本来これらのジャンルは、お互いを拒絶してきたという過去がある。そして特筆すべきは、彼のサウンドにはふたつのスタイルが存在するということだろう。ひとつはドラムの連打と切り刻まれたヴォーカルサンプルが突然、ソフトなシンセサイザーに溶け込んでいくような、電子音楽の才能が発揮された楽曲。もう一方は、ためらいながらも美しく歌うクックのボーカルを前面に押し出した、優しいアコースティックギターが入ったベッドルームポップに近い曲だ。

2016年からクックは、イギリスからアメリカへ移住したチャーリーとソフィーと仕事をするために、ロサンゼルス(クックは「この奇妙なポップミュージックの街」と呼ぶ)で過ごす時間が増えた。「ロンドンにはほとんどいないのに、家賃を払い続けていたため、フラットメイトにはからかわれました」と当時を振り返る。ロサンゼルスはクックにとって期待の持てる街だった。歴史や文化的なゲートキーパーの存在に閉塞感を感じるロンドンに比べ、ロサンゼルスは正反対だった。「ここでは、誰もがつねに現在に目を向けています。今日はどんなイベントが行われているのか。今週は誰が街に来ているのか、といった話をいつもしています」

パンデミックの間、クックは7年来の恋人であるミュージシャンのアラスカ・リードと、彼女の故郷モンタナの田舎町ですごした。地下にある小さな部屋で音楽制作をしたり、ハイキングに出かけたりして1年を過ごしたという。「ロンドンで育った私は、広大な景色を見ることに慣れていません。大きな山、広い空に圧倒されました」。そのような環境で暮らしたことで、自分がイギリス人であることをとくに意識するようになった。「イギリス訛りで話すのは私だけでした。自分にとってシュールで異質な経験となりました」。これが3枚目のアルバム『Britpop』の着想源となった。このアルバムは、クックが思う「アメリカ人が英国から連想するイメージ」、つまり歴史、神話、ファンタジーの国、からインスピレーションを得ている。2024年5月に発売された同アルバムは、イギリス国旗がアルバムジャケットのモチーフとなっており、古代の異教徒の伝統を想起させる歌詞もある。ちなみにアルバム名は、1990年代に英国音楽史の一時代を築いたブリットポップをジョークで引用している。しかし、非常にクックらしいのが、このアルバム名には裏の意味が隠されていることだ。2024年現在、世の中はポップミュージックの定義も、EU離脱後のイギリスの定義に関する合意的な理解に達していない。その状態を皮肉っているのだ。

パーソナルな内容や略歴に踏み込むような質問をすると、クックはやや警戒心を強めるようだ。しかし、相手に気づかれないほど自然にそのような話題を丁寧かつ巧みにかわし、会話を続ける。これがクックのスタイルということは、公開されているインタビューで私生活についてほとんど言及していないことからもわかる。単にメディアの扱いに慣れていて、公の場で感情を表に出したがらないのかもしれない。けれどもクックは、何かについて「とても感動した」と言うときでさえ、図書館員のように淡々とした口調で言うのだ。

しかしこの取材中、ある瞬間を境にクックの別の顔が見え始めた。それは2021年に不慮の事故で亡くなったクックの長年の共同制作者であるソフィーの話題になったときだ。「一緒に過ごした時間はとても特別で、私という人間に大きな影響を与えました」とクックは静かに語る。『Britpop』に収録された“Without”は、ソフィーに捧げた曲だ。クックはまた、彼女の芸術性と人格を美しく詳細に、心を込めて讃える長い文章をオンラインで綴っている。『Brat』や『Britpop』など、あらゆる作品にソフィーへのリスペクトを散りばめているとも語っている。ソフィーは生前、サウンドを新たなかたちに昇華させる卓越した能力が高く評価されていた。けれどもクックは彼女の詩的で叙情的なイマジネーションと真正性を称賛している。ソフィーは、実験音楽とポップミュージック、人間とコンピュータ、知性と感情、本物と偽物などといった二項対立のどちらかを選ぶ必要はないという姿勢を貫いていた。「物事はどちらでもあり得るのです」とクックは最後にこう語った。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 47 に掲載されています

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