天候を除けば、その空間は彼女の小説に登場する閉鎖的で安らぎのない世界とはかけ離れた、穏やかで家庭的な雰囲気が漂っている。しかし話を 伺っていくうちに、まもなく44歳になるモシュフェグ自身がカリフォルニ アで築いたその生活を、どこか不思議な気持ちと、ほのかな戸惑いをもって受け止めているということがわかってくる。愛犬ウォルターへの「うっとうしいほどあふれる」母性愛について語っているとき、彼女はウォルターと暮らす前の生活には「二度と戻りたくない」と言った。
「皿洗い、洗濯、犬、ベッドメイキング」など、やるべきことをToDoリストに 書くのが日課だ。これらのタスクにチェックを入れると、「何か変なことが 起きたとしても大丈夫」と思えるようになり、自分自身を安定させられる のだと話す。「私は行動を習慣化するタイプ。地に足をつけた生活を送って いるからこそ、ほかの部分で思いっきりクレイジーになれるような気がするんです」。その語り口には、混乱した女性が自由奔放になったときに何が起こるのかを、身をもって知っている人間にしか出せない含みがあった。「トイレットペーパーを買うなど、生きていくために最低限必要なこと、つ まり『人として当然やるべきこと』を一通りこなせていれば、創作のために使っている時間と脳の使い方にも、ちゃんと意味があるって思えるんです」
その創作活動には、ハリウッドへの進出も含まれている。モシュフェグ とゲーベル夫妻は共同でジェニファー・ローレンス主演のイラク帰還兵の 物語『その道の向こうに』の脚本を手がけたほか、ウィリアム・オールドロ イド監督のもと、トーマシン・マッケンジーとアン・ハサウェイ主演で、彼女の小説『アイリーン』を映画化している。モシュフェグの現在の予定には、 レイチェル・クシュナーの小説『終身刑の女』の脚本化、さらにもう「まだ口外してはいけない」という脚本の企画が1本あり、そして少なくとも100回は読んだというハロルド・ブロドキーの1954年の小説『The State of Grace (原題)』に反応して書いている『ニューヨーカー』誌のための短編小説がある。短編小説を書くのがあまりにも久しぶりだったせいで、執筆にどれほど深く没入しなければならないかをすっかり忘れていた、とどこか懐かしそうに語った。そして放置していることを自覚している5作目の長編小説も控えている。
モシュフェグは、「6カ月、7カ月、8カ月」と数えながら、自分がどれくらいその長編小説の草稿に手をつけていないかに気づき、「信じられない!」 と思わず声を上げた。「なんだか、大切な親戚に冷たくしてしまったような 気分。急に会いたくなっちゃった」。彼女はこの小説の舞台を、イギリスの海辺のリゾート地ブライトンに設定すべきだと直感し、そのひらめきに 従って執筆を進めたという。けれども、彼女はブライトンに一度も行った ことがなく、そこで撮影された映画の“光の質”を覚えているだけだったそうだ(「すみません、脳が働いていなくて!」とその映画の監督の名前をなんとか思い出そうとし、最終的にマイク・リーの名前を挙げた)。2 後日、初めてブライトンを訪れると「不穏な空気が流れているに違いない」という勘が確信に変わった。「たった1日半の滞在でしたが、半分くらいの時間を複 合施設の地下にある郵便局で過ごしました。というのも荷物を全部自宅に 送らないといけなかったから。でも本当に満足できましたし、私の勘が当たり過ぎてちょっと怖かったです」
それ以来、ブライトンへ「信じられないほど孤独な」ひとり旅を2度して いる。毎回、快適さを犠牲にしてでも小説の雰囲気を味わうことを優先し、海が見えるAirbnbに滞在するのだが、ある物件では雨漏りで天井が崩れ落ちたこともあったという。さらにグレアム・グリーンの小説『ブライトン・ロック』を購入したものの、その雰囲気が自分の作品に「染み出て」しまうの を恐れて、読むのを避けているのだという。
ブライトンからカリフォルニアの自宅に戻ると、小説を書くことが難しいことに気づいた。「自分で築き上げた世界から離れなければ、小説という もうひとつの世界を明確に見ることができないのです」とはっきりとした 口調で言う。まだ初稿の段階ではあるものの、モシュフェグが語る新作の 描写は断片的でありながら、“フル充電”されている。取材中に何度もこの 小説の話題に戻ることから、彼女の思考がいかに同作品に深く占められているかがうかがえる。主人公は18歳の少年で、テーマは皮膚と自傷行為だと彼女はほのめかす。「若い頃の私には、感情に対処する手段がなにもありませんでした。物事をどう感じるか、感じないか、それがこの小説のテーマ です」
“フル充電”されている。取材中に何度もこの 小説の話題に戻ることから、彼女の思考がいかに同作品に深く占められているかがうかがえる。主人公は18歳の少年で、テーマは皮膚と自傷行為だと彼女はほのめかす。「若い頃の私には、感情に対処する手段がなにもありませんでした。物事をどう感じるか、感じないか、それがこの小説のテーマ です」
モシュフェグは最近、次の執筆に備えるため、意図的に“10代の頃の自分” と再会している。2024年、彼女はSubstackのニュースレター『It’s Ottessa, bitch,』を創刊した。3 2000年代初期のMyspaceのようなローファイで ティーンっぽいレイアウトが特徴的だ。ニュースレターでは高校時代の ノートをスキャンしたり、20代のときに受けた神経心理学的評価を公開したりしている。さらには、15年前に見た夢について語り、そこに登場したもの(子どものフィンガーペインティング、コットンの白い下着、1988年に 作られた木製のZenith社製テレビ)を、eBayで購入できるようリンクまで 添えている。また別の記事では、『My Year of Rest and Relaxation』に登場 する映画をすべてレビューしているのだが、その多くは『ティン・カップ』、 『ショーガール』、『サンタに化けたヒッチハイカーは、なぜ家をめざすのか?』など、1980年代から1990年代の作品だ(しかも、それらのほとんどを彼女 は今回初めて鑑賞している)。