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EMILY GERNILD

エミリー・ガーニルド

  • Arts & Culture
  • Volume 44

デンマークの画家が、古き媒体に新たな息吹を吹き込む。
Words by Emily Nathan. Photography by Cecilie Jegsen.

芸術家としての天職に恵まれる人の物語は、幼少期に創造的な才能に目覚めることから始まることが多い。だが、デンマークの画家エミリー・ガーニルドの場合は、そうではなかった。20代半ばに経験した「実存的な混乱期」にボーイフレンドに勧められて絵を描き始めたからだ。ガーニルドは現在30代後半、アーティストとしてのキャリアは長くない。しかし、プロとして活動の年月がまだ浅いにもかかわらず、具象と抽象の間を興味深く交互に行き来する、持ち前の痛烈で直感的な構図の力によって、現代絵画界の最前線に立っている。

冬のどんよりした朝、コペンハーゲン郊外の3階にあるガーニルドのアトリエでは、夫のマッズ・ハンセンが旧式の小さなキッチンに立っていた。暗い部屋にキャンドルを灯しながら、ハンセンは最近、講師としてのキャリアを離れ、妻の「便利屋」として働いているの だと説明する。この変化により、一緒に過ごす 時間が増えたと話す。ふたりの子どもを一緒 に育てながら、多忙な妻の仕事の管理をハン センがしている。 「そのおかげで状況がとても良くなりまし た」とガーニルドは夫からコーヒーを受け取 りながら言う。「仕事が終わると、マッズが子 どもたちを迎えに行ってくれます。時にはア トリエに連れてきてくれるので、私はストレ スを感じることなく、自分の仕事を終わらせ ることができます。子どもがいて、仕事をして いて、でも家族と一緒に過ごしたい。これが私 たちの現実です。この生活を守るために、今、 夫は自分の時間を家族のために割いてくれて いるのです」

ガーニルドの知名度は飛躍的に高まってい る。2016年にフューネン・アート・アカデミーを卒業して以来、国際的な個展に出展し、現在 はデンマーク、ノルウェー、ドイツ(ガーニル ドはデュッセルドルフ・アカデミーで基礎を 学んでいる)のギャラリーに所属している。し かし、画家としてのスタートは型破りだった。 ガーニルドのバックグラウンドは芸術ではな く、神学。しかも大学を中退し、旅に出たとい う過去を持っていた。そのため、美術学校への 入学を考えた25歳のとき、ポートフォリオを 持っておらず、早急に準備する必要があった。 また、コンセプチュアルアートが主流だった 時代に絵画を学ぶためにフューネンに入学し た。しかしデュッセルドルフでは、リタ・マク ブライド、ピーター・ドイグ、カタリーナ・グ ロッセといった高名な画家たち、デンマーク ではタルRとの出会いが、ガーニルドに絵画 の可能性を気づかせ、画家としてのアイデン ティティを確立させた。

ガーニルドの作品は、フォーヴィスムの大 胆なグラフィック表現を思い起こさせるが、 描く対象は自然風景ではなく、日常的なもの だ。大画面のキャンバスには、幾重にも重なる 野性的な色彩、脈動する有機的なフォルムが 広がる。その中に、素早いストロークで描いた チューリップの輪郭やキッチンの脚が床に溶 け込んだ木製の椅子の背もたれなど が、ほんの一瞬垣間見える。長方形や 丸々とした果物や野菜、根や石ころ がX線に映し出された静物画のよう に描かれている。透過光の中に凍りつ いたナスが浮かび上がっている。

ガーニルドはウサギの皮革で作られたウサギ膠を使う。これはルネサンス時代から美術に使われてきた接着剤だ。

「その平凡さにこそ最大の奇跡があると信じています」

「母がシュタイナー教育の教師だっ たため、子どもの頃から自然と強い つながりがありました。それが作品 に表れているのだと思います」と ガーニルドは初期作品の題材につい て振り返る。「でも最近は、わかりや すいものは描かなくなりました。自 分を拘束してしまうから。ひと目見 ただけで題材がわかる作品は、自分 をすべて明け渡してしまうような気 がします。そうではなく、絵と鑑賞者 の間の距離を刺激し、可能性を生み 出すような絵を描くことに興味があ ります」

アトリエの木製のテーブルは、絵 具のチューブやスティック、ボトル であふれかえっている。ひとつの作 品に油絵具とアクリル絵具を組み合 わせることも多いが、ガーニルドが よく使用するのがウサギ膠(にかわ) というルネサンス時代から美術に使われてき た、ウサギの皮革で作られた接着剤だ。ガー ニルドはこれを自分で作る。琥珀色の結晶を 溶かして冷やし、さまざまな濃度の粉末顔料 を混ぜて好みの色と粘度に仕上げる。そして 完成したウサギ膠液でキャンバスの下地塗り をする。他の下塗り剤とは異なり、透明度や不 透明度を調整することができ、時にはキャン バスの質感を残すこともできる。膠液を水彩 絵具のようにポタポタと垂らしたり、クリー ム状に厚く塗ったりする。

「COVIDの間、ウサギ膠を使っていろいろ試 す時間がありました」とガーニルドは話す。 「これを使えばキャンバスに敬意を払うこと ができることを発見したんです。キャンバス は生きものだと私は思っています。プラス チック(アクリル塗料)は窒息させてしまうけ れど、ウサギ膠はキャンバスが呼吸できるの です」。ウサギ膠の液状の特性から、ガーニル ドはキャンバスを床に寝かせて新作に取り組む。そのため、まるで犯罪現場の黄色のテープ のようにアトリエの床には乾燥した顔料の跡 が浮かび上がっている。ガーニルドは直観的 に作業するという。閃いたアイデアを描き始 めるが、筆の方向性を導くのは絵だ。だからこ そ、ガーニルドの場合、たとえ小さな紙の作品 にも、独自の生命力がある。通常、大規模な作品を手がける画家の場合、紙に描く小さな絵 は下絵とみなされるのだが、ガーニルドは他 とは違うのだ。大きさにかかわらずすべての 作品が本番なのだ。

ガーニルドは、キャンバスの物質的な存在 とその声を心から尊敬しており、その制作過 程を啓示的なものだと語る。自分の望む仕上 がりをキャンバスに投影するのではなく、 キャンバスと対話しながら絵が完成していく のだと説明する。一筆ごとに新たな物理的、質 感的条件が生まれ、ガーニルドはそれに反応 していかなければならない。そして、彼女の言 葉を借りれば、絵が「完全に着飾り、外出する 準備が整った」という状態になるまでそれは 続く。

「絵に注意を払い、何が起こっているか耳を 傾けます。アイデアにとらわれすぎたり、塗 りすぎたり、手をかけすぎたりすると、いい絵 が描けなくなります。私自身のアイデアやイ ンスピレーションは、スタート地点にしか過ぎません。私に絶好のチャンスを与えてくれ るのはキャンバスです」

一人っ子で母親に育てられたガーニルド は、女性であることに付随する問題、とりわけ 歴史を通しての女性の制度的扱いにつねに関 心を抱いてきた。花、家、家庭内のインテリア といったものをテーマにした彼女の芸術的探 求は、奇妙さとミステリアスさに満 ちている。伝統的に女性アーティス トに限定されてきたこれらの題材 を、より深く暗い真実を覗く窓とし てとらえ直している。キャンバスに は倒錯した世界があふれている。 《Black Lemons》(2020年)、《Pods》 (2015-20年)、《Trinity》(2020年)な どの作品は、地上的なものと異世界 的なものに根ざしており、ある時は 腐 っ た 柑橘類 が 塵 と 化 す 様 子 を チョークで表現し、またある時は宇 宙的で、瞬きながら降り注ぐ闇を捉 えている。

「古典的な題材に興味を持ったこと は一度もないですね」とガーニルド は語る。「それよりも、玄関を出ると きにちらっと見えるものが好きなん です。シンクに積まれた汚れた食器と か、カウンターの花が朽ちていく様子 とか。花は、新鮮なうちはどれも同じ ように美しいけれど、時間が経って 枯れるにつれて、より個性を発揮し ます。私が興味を抱くものは平凡な ものばかり。でも、その平凡さにこそ 最大の奇跡があると信じています」

最近の作品では、わかりやすい対象から離 れ、より哲学的でスピリチュアルな領域に踏 み込んでいる。色使いも以前より暗くなり、被 写体もダークだ。過去10年近く、20世紀の大 半を通してデンマークで女性のヒステリーの 治療法にロボトミー手術が組織的に行われて いたことに関心を寄せている。そしてこれは、 2023年11月にコペンハーゲン郊外の美術館 Gammel Holtegaardで開かれた、これまでで 最大級の個展『Aunts and Dolls』のテーマとなった。

35点の作品は、具象と抽象が絡み合いなが ら、小宇宙と大宇宙の根源的な調和を映し出 しているようだ。進化に向かって忍び寄るア メーバ。静脈を流れる血液のように長く滴る 雫。医師の手袋をはめた手が、長細い人物の上 にそびえ立っている。そして、固まった赤い顔 料やなまめかしい女性的なフォルム。「これは 一体なんだと思う?」といたずらっぽく観客 を挑発しているようだ。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 44 に掲載されています

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