ガーデンローズがもたらしてくれた癒しのひとときを、人々に届けたのです ね。
その通りです。花は私たちの脳の本能をつかさどる部分に安らぎをも たらしてくれます。
業界について驚いたことはありますか?
花のビジネスの過剰なまでの消費主義とそれに伴う環境負荷の大きさは想像を超えていました。個人的には、はるばるケニヤから2月にバラを持ってくるなんてナンセンスだと思います が、この業界ではそれが当たり前とされていることを、パリのさまざまな花 屋で修業した際に学びました。そのとき、従来の花のビジネスのあり方は、私 が求めているものではないと気づきました。
誤った道を選んでしまったと不安になりませんでしたか?
いいえ、でも自 分の考えを持つ必要があると実感しました。美しいものを創り出すために、エキゾチックな花を大量に消費する必要はありません。
でも季節の花がほとんど手に入らない冬はどうするのですか?
それこそ がドライフラワーに注目した理由です。ドライフラワーは、倫理的にも美的 にも私の価値観にぴったりでした。四季の移り変わりに調和し、年間を通じ てさまざまな植物を使った創作が可能になります。特に生の草花と組み合わせると、どこか懐かしさを感じさせてくれる点もドライフラワーの魅力です。誰 だって子どものころ、夏休みの記念に押し花を作った思い出があるでしょう?
安本さんご自身にはどのような思い出がありますか?
フランス南西部ポワトゥーの祖父母の家で過ごした夏を思い出します。今も作品で使う多くの花を摘みに訪れる場所です。祖父の庭、家のまわりの野原など、そこかしこに 花が咲いていました。長い散歩に出かけては、摘みたての花やハーブ、野草の ブーケを抱えて帰りました。
子どもは天性のフローラルデザイナーですか?
子どもの目には、こっちには花が咲いているよ、あっちには葉っぱがあるね、とあらゆるものが美しく 映ります。そしてどんなことだってできると信じています。そうしたのびの びとした感性によって素晴らしい作品が生まれるのです。
大人になるとそれが急に難しくなります。なぜでしょう?
子どものように、植物に向き合えなくなるからだと思います。アレンジメントを作り始めるときに、こういう作品にしたいという思いが強いと、私はだいたい苦戦します。 おもしろい作品が生まれるのは自然の成り行きに身を任せたとき。すると感 情が作品に表れます。いけばなでは作品を通じて気持ちを表現することを学びました。俳句を詠むのと似ているかもしれません。私はいけばなを極めた わけではありませんが、その理念に深い関心を寄せています。
いけばなの厳しい決まりごとは直感的な創作の妨げになりませんか?
誤解しないでほしいのですが、直感的だからといって集中していないわけではありません。創作中は当然ながら目の前の作品に全神経を注ぐ必要がありま す。戦国武将は戦いに臨む際、花をいけることで精神を整えたと言われています。一種の瞑想のようなものでしょう。また、いけばなは、私たちが子ども の頃に作ったブーケのように、つぼみ、盛りの花、朽ちかけの花、またそれら を囲む草木など、どんな植物も生かす芸術です。とても詩的で、大いなる気づ きを与えてくれます。
失敗作というものは存在しますか?
ないと思います。フラワーアレンジメントを教えていますが、作品に落胆する生徒さんを見たことはありません。ま た、同じレッスンを受けても、まったく同じ作品ができあがることは、まずあ りません。
色の組み合わせや、花材や質感が合わない場合はどうすれば良いのでしょう か?
こうすればうまくいく、あるいは失敗する、という公式はないでしょ う。詩人シャルル・ボードレールは「美はつねに奇妙なもの」という言葉を残 しています。その通りだと思います。奇妙さのなかに多くの美が存在するのです。それは唯一無二の存在としての作者の個性が映し出されるから。作り手の心が見えるのです。