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  • Fashion
  • Volume 34

Michèle LAMY
ミシェル・ラミー

パリの女王。 Words by Robert Ito. Photography by Luc Braquet.

ミシェル・ラミーは、ヴェネツィアの大運河沿いのホテルの一室にいる。 薄いカーテンがかかった窓から陽光が差し込み、海鳥の鳴き声が聞こえて くる。彼女は、世界でもっともジャンルを超越したクリエーターのひとり であると同時に、もっとも個性的な着こなしをする人物でもある。スフィ ンクスのようなヘッドドレスと吸盤を額につけたり、巨大で彫刻的なジャ ケットにショートパンツとプラットフォームブーツを組み合わせたり(イ ギリス版『Vogue』の連載「Inside the Wardrobe」でのスタイル)、夫の頭部 を不気味なほどリアルに再現したバッグを持つなど、さまざまな場面で独 特なファッションを披露している。1

そこで私は、彼女に今日は何を着ているのか聞いてみた。その答えは「カ シミアのセーターです。でも上下反対に」。腕は袖に通しているが、襟ぐり は腰のあたりにぶら下がっている。「あと、体の半分はボディスーツ、もう 片方はシャツを着ています」と彼女は続ける。彼女はZoom越しに、生地や パーツの配置が私に見えるように立ち上がってくれた。彼女の頭の上には エルフが被る帽子のようなものが乗っているが、これはラミーの夫であり ビジネスパートナーでもあるファッションデザイナーのリック・オウエンス が制作したマスク。今、同じホテルの部屋で彼女の背後にいる彼は、小さな 木製の机で仕事をしている。ラミーのすべての指には、たくさんの指輪が はめられている。「私はいつも指輪をしています」と彼女は言う。そして腕を 動かすたびに、何重にも重ねられたブレスレットがカチカチと音を立てる。

ラミーは今、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のオープニングのた めにヴェネツィアに来ている。2015 年の同展では、彼女はトラック運搬用 の巨大な荷船の上に、レコーディングスタジオやレストランを備えた、浮 かぶパーティ会場/アートプロジェクト/ダイニングホールなどの機能 を持つ「Bargenale」を制作。アメリカのラッパー、A$AP Rockyやイギリス のミュージシャンのジェームス・ラヴェルなどをゲストに迎えた。2 そして 再び2019 年には、「LAMYLAND: What Are We Fighting For?」と題するボ クシングをテーマにしたインスタレーションを発表。海外のアーティスト が特別にデザインした、9つのサンドバッグを展示した。

今年はビエンナーレに出展していないため、彼女は観客としてヴェネチ アに来ている。そして8月末にも再び訪れ、キュレーターのパオロ・ロッソ が企画した「フローティング・シネマ」に参加したいと考えているという。 彼女の説明によると、その展示はヴェネツィアの潟(ラグーン)の中央に大 規模なスクリーンを浮かべ、小さな漁船でそこまで行くそうだ。「桟橋での パーティもおおいに盛り上がるでしょうね」と彼女は言う。ラミーは、この フローティング・シネマで90分のプログラムをキュレーションするよう依 頼されている。

このインタビュー時に私がロサンゼルにいることを伝えると、彼女はフ ローティング・シネマの撮影のために7月にロサンゼルスを訪れる予定だと 言った。この時点では、作品が映画になるのか、複数の映像になるのかは未定だった。「私が30年間もロサンゼルスに住んでいたことを知っていま すか?」と彼女は私に尋ねる。ラミーはロサンゼルス在住時、神話のような 存在であり、そのセンス、遊び方、サブカルチャーへの造詣や人脈で注目さ れていた。77 歳になった今も、彼女はこの街で存在感を発揮し、ロサンゼル スの新進のアーティストやデザイナー、クリエイティブな面々とコラボ レーションしたり、刺激を与えたりしている。

(1) ラミーは、パリのパレ・ド・トーキョーで開催されたRick Owensの2020年秋冬のショーに出席した際に、夫の“顔バッグ”を持っていた。「携帯電話、お金、タバコ。必要なものがすべて入っています」と、当時『Vogue』誌に語っている。
(2) A$AP Rockyは、2008年以来、ラミーの友人であり、コラボレーター。彼女は彼のアルバム「At. Long. Last. ASAP」のカバーの撮影をしているが、その写真では、彼はラミーが贈ったリングを身につけている。

ラミーは1944 年にフランスのジュラで生まれた。全寮制の学校でヘン リー・ミラーの作品を読んで英語力を高めた後(彼女いわく「ミラーの小説 はとてもセクシーだった」)、キャバレーでダンサーとして働き、1968 年5 月のパリでの抗議活動に参加した。3 1970年代後半にはニューヨークに移 り住み、「スタジオ54」などに出入りしていたそうだ。当時、兄から言われた 言葉は「ニューヨークでカッコよくなるには、もっとお金が必要。でもロサ ンゼルスは違う」だった。「ロサンゼルスは、『イタリアのリビエラにニュー ヨークがある感じ』だと兄は言っていました」。ラミーは、作品のなかでロ サンゼルスを称賛したり非難したりすることで知られる、スーザン・ソンタ グやジョーン・ディディオンのような作家に惹かれてロサンゼルスを訪れ た。「音楽、文学、すべてが私を魅了しました」と彼女は言う。そして1979 年 にロサンゼルスに移り住んだ。

ロサンゼルスでは、自身の名を冠したファッションブランドを率い、ま たサンタモニカ・ブルバードで「Too Soon To Know」という店舗を経営し た。1991 年頃には、アル・パチーノやデヴィッド・リンチ、レニー・クラ ヴィッツやマドンナなど、一流俳優やミュージシャン、アーティストたちが 集う伝説的なカフェ「Les Deux Café」をオープン。何の変哲もないパーキ ングや、店名のない鉄製のドアなど、その場所のすべてが仰々しいほど秘密 めいていた。「Les Deux Café はもともと駐車場だった場所です。そして、私 は『ここをガーデンに作り変えよう』と決めたのです」。そこから彼女の人 生は(単なる駐車場が街でもっとも神話的なホットスポットのひとつに大 変身したように)、奇異な偶然の産物であるかのように目まぐるしく変化 していく。しかしもちろん、偶然ではなかった。「私は苦しみながらずっと 努力してきました。そうやって自分でチャンスを作ったのです。チャンス は自分で作ることができるんです」。また、好奇心旺盛で“遊牧民のような 精神”を持っている彼女は、まだまだ行きたいところがたくさんあるとい う。「まだ日本に行ったことがないなんて信じられますか?」と彼女は私に 尋ねる。近いうちに日本を訪れたいそうだ。「私はいつも、自分にふさわし い人、自分がふさわしくなりたい人、あるいは自分が驚くような人と一緒 にいられる状況に身を置くようにしているのです」

(3) 2019年のパリ・ファッション・ウィークで、ラミーはキャバレーManko Paris に復帰。彼女はボクシングのハンドラップを全身にまとい、アーティストのJean-Biche と一緒に踊りながら2回のパフォーマンスを行った。

ラミーがロサンゼルスを離れたのは2003年のこと。「私たちがパリに 移ったのは、リック・オウエンスがパリに行かなければならなかったから」 と彼女は夫のことをなぜかフルネームで呼んだ。まるで私が彼を誰だか知 らない、または、彼が同じ部屋のすぐ側にいることを知らないかのように ( オウエンスは、フランスの老舗毛皮メーカー、Revillon のアーティス ティック・ディレクターを務めるためにパリにやってきた)。しかし、今でも ラミーはロサンゼルスが大好きだと話し、初めてロサンゼルスを訪れる人 を連れて行きたいスポットを次々とリストアップしてくれた。ダウンタウ ンのアート地区、ベニスビーチのスケートパークとボードウォーク、かつて 指にタトゥーを入れたことのあるパームスプリングス、それに伝説のホテ ルであるChateau Marmont。「それにザ・バレーにも連れていきますよ!」 と加えた。ラミーは私とロサンゼルスの話をする際に、必ず「あなたがいる 場所ね!」というフレーズを付け加えた。「私はまたロサンゼルスに戻りま す、あなたのいる場所ね!」「私はロサンゼルスから戻ってきました、あな たのいる場所ね!」という具合に。明らかにロサンゼルスを愛してやまな い彼女と接点を持てたことが私は嬉しかった。

いま、私の手元に1 冊の書籍『Rick Owens Furniture』がある。この本は、 ラミーが長年にわたり夫のブランドで製作してきた家具に関する、Rizzoli 社から出版された美しい大型本だ。彼らが作る家具は、実用性や使い心地 を追求するというよりも、アーティスティックでミニマルな傾向が強い (ロサンゼルスの現代美術館で開催された最近の展示会では、大理石、コン クリート、牛の骨で作られた作品が展示された)。同書は、“家具の本”とい う枠におさまりきらない、他に類を見ない構成となっている。トスカーナ、 ドバイ、モントリオール、死海を訪れた旅行記でもあり、ダニエル・レヴィッ トとジャン・バプティスト・モンディーノが撮影したラミーとオウエンス夫 妻のポートレートを掲載した家族アルバムでもあり、アートブックでもあ る。アルミを流し込んで作られた「鹿の角のスツール」(座る位置に角が生 えている)の写真の隣には、金の詰め物に小さなダイヤモンドがいくつも 埋め込まれているラミーの前歯のアップ写真が掲載されている。4 また、 ロッククリスタル製の便器の写真や、彼らの会社であるOwenscorpの本社 と自宅があるブルボン宮広場(フランス国会議事堂の跡地)の5 階建てのビ ルで撮影されたタバコの吸殻やテレビのリモコンの写真、工場でフォーク リフトを運転するラミーのスナップ写真、サンモリッツの雪の中を歩く姿 なども収録されている。

写真集のキャプションにはほんの1 語や2語しか書かれていないため、ラ ミーにいくつかの写真を詳しく説明してもらった。「ハリウッド、1995 年12 月」と書かれた写真には、1950年代の犯罪容疑者の顔写真のような2枚の 巨大な写真の前にラミーが立っている。たくさんのブレスレットを付けた 左手を腰にあて、タバコを持った右手は、まるでセレブリティがタバコを 宣伝しているかのように高く掲げられている。その姿はモデルのようだ。 「この写真は、私がLes Deux Café を建てているときに撮ったものです。 リックのスタジオがこの通りの向こう側にありました」と彼女は言う。「彼 の最初のファッションブランドをやっていた頃です。まだコレクションで すらありませんでした」。当時ふたりはスタジオに住み込んでいたという。 オウエンスとラミーにとっては、ラミーが「カーニバルの時間」と形容する ように、創作活動に熱中した時期だった。「これはその頃でも特に楽しい写 真の1 枚です。私も良く写っていると思います」

「私は人前でパフォーマンスするのが好きなので、 人が多ければ多いほどいいんです。 大きな会場で大勢が集まっていると、 宙に浮いているような気分になります!」

「 ベルギー・モンス、2013年」というキャプションが書かれた何枚かの写 真では、ラミーは巨大な大理石の板を熱心に見ている。「これは、ベルギー とフランスの間に唯一残っている黒大理石の採石場です。地下60メートル まで行かないと見ることができません。大理石はダイナマイトを使って取 るんですよ」。彼女が採石場へ行った目的は、Rick Owensの家具ブランド のために傷のない大きな大理石を探すことだった。この大理石は、後に ベッドや椅子、テーブルなどに加工されたが、その重さは数トンにも及んだ そうだ。ラミーはすぐに、何を探すべきか、どうすればもっとも美しい石 (彼女いわく、「葉脈がない大理石」)を見つけられるかを学んだという。そ のあと彼女は、アブダビにある巨大なモスクがシベックホワイトという大 理石で作られていることや、黒大理石が黒くなった理由(石炭との関係と いうことだ)、「地球を守らなければ」という理由で人々がリキッド・ストー ンに注目しているがその実態はコンクリートと同じようなものだ……とい うように、新たな話題を次々に展開させていった。「というわけで、この話 もおもしろい話ですよね」とひと通り話し終えた彼女は言った。実際には、 複数の興味深いエピソードが紡ぎ出されては、話が脇道に逸れたり、前の 話題に戻ったりするため、どの部分が「この話」だったのかわからないとい うのが彼女の会話スタイルだ。

また、「Ebenisterie Dagorn 工務店、サン=ファルジョー=ポンティエ リー、2016 年4月」とキャプションが付けられた写真では、ラミーが工場の 床にほうきを押し付けている。一体なぜ彼女が掃除を?「 他の人たちはト ラックに乗ってどこかに行ってしまったのかもしれません。でも、誰かがや らなければならない仕事ですよね」と言って、少し考えこみ「それとも、ふざけてやっているのかな?」と言った。

(4)ラミーに銀の詰め物を金に変えるよう勧めたロサンゼルスの歯科医は、シャーマンでもあった。「もう1 本も金にしよう、さらにもう1 本も。となったわけです」と、2015年に『The Cut』に語っている。

「私は人前でパフォーマンスするのが好きなので、 人が多ければ多いほどいいんです。 大きな会場で大勢が集まっていると、 宙に浮いているような気分になります!」

私たちと同様、ラミーの生活や予定もパンデミックの影響を受けている。 それでも、この1 年の間に、キム・カーダシアンと一緒に、ルイス・キャロル の『不思議の国のアリス』のお茶会をモチーフにしたショートフィルムを 制作したり、NY・ブロンクスの料理集団「Ghetto Gastro」と一緒に、彼女 が養蜂したハチミツを使ってハニー&マスタードチキンを作ったり、 Moncler + Rick Owens のコレクション発表のためにカスタムデザインし たツアーバスで夫と一緒にミラノに行ったりした。5 つまり、彼女はまった くスローダウンしていないということだ。確立したコンセプトやスタイル に固執するアーティストとは異なり、ラミーは自分の可能性と境界線を押 し広げ、挑戦を続けている。

来年以降は、娘のスカーレット・ルージュとヴェネツィアを拠点とする ビジュアル・アーティストのニコ・ヴァシェラーリと結成した音楽グルー プ、LAVASCARで、再びツアーを行いたいと考えている。「ノイズバンドで す」と彼女は説明するが、ラミーの話し言葉(ラングストン・ヒューズやエ テル・アドナンなどの詩を朗読)と、ルージュが奏でる動物の鳴き声を掛け 合わせるという、一言では言い表せないジャンルの音楽だ。昨年は予定さ れていたラトビアやグルジアでのライブがパンデミックの影響で中止と なったが、ラミーはすぐにでもライブを再開したいそうだ。「私は人前でパ フォーマンスするのが好きなので、人が多ければ多いほどいいんです。逆に 小さな会場では、少し気後れしてしまうかもしれません。でも、大きな会場 で大勢が集まっていると、宙に浮いているような気分になります! ステー ジで物語を読む私自身がまるで物語の中の人物になって、次から次へとど こかに行ってしまうような感覚。そして私が大好きなニコの原始的なサウ ンドのドラムが響くと、私は思いっきり笑うことができるんです」

笑い声は実際に彼女のパフォーマンスの一部分でもある。彼女の笑い声 (を含む他の魅力)に興味を持ったあるキュレーターが、笑ってもらうため にラミーをアブダビに招待したほど。キュレーターの説明によると、アラ ブのベドウィンの部族には、危機に瀕したときに、その分野の賢者が誰かの 笑い声を読み取り、未来を予測するという伝統があるそうだ。もちろん、ラ ミーは笑うだけではなく他のこともする予定とのことだが、アブダビに行く時期はまだ決まっていない。「苦しいとき、戦争や病気のとき、彼らは笑い声を読み取って、その笑い声から物事が良い方向に向かうのか、それとももうしばらく困難が続くのかを知ることができるそうです」と彼女は言う。ラミーは、本当に将来を予言できる人がいるかどうか半信半疑だが、そ の伝統を受け入れているようだ。「私たちも、言葉を使わずに笑い声だけで 何かを表現できるということを伝えています。ということは、笑い声から 未来を予言できる人が出てくるかもしれませんよね? 私だってそうなるかも」

(5)ラミーとキム・カーダシアンは他にもコラボレーションを行っている。パンデミック期間中、ふたりは『AnOther』誌の表紙を飾り、ロックダウンの間に交わしたテキストメッセージを掲載。ラミーは「À demain, twin monkey(またあしたね、双子の猿)」という言葉でチャットを終えている。

(5)ラミーとキム・カーダシアンは他にもコラボレーションを行っている。パンデミック期間中、ふたりは『AnOther』誌の表紙を飾り、ロックダウンの間に交わしたテキストメッセージを掲載。ラミーは「À demain, twin monkey(またあしたね、双子の猿)」という言葉でチャットを終えている。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 34 に掲載されています

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