寝室の続きになっているバスルームにはオリーブグリーンのバスタブとそれに合わせた洗面台とトイレがある(バチョッキがロンドンで手に入れた1950 年代のイタリア製のもの)。壁に取りつけられたブロンズガラスのシェービングミラーを軽く押してあけると、その裏側にはのぞき窓があり、家の屋根 やトスカーナの丘を見渡すことができる。
バチョッキが提供する情報は重み、歴史、そして曖昧さの間を揺れ動いてい る。彼が有名デザイナーの名前を知ったかぶりで出すことはまずない。おもし ろいことにジオ・ポンティ(脚が広がった典型的なドレッサーのデザイナー) やアンジェロ・マンジャロッティ(ずっしりとした大理石のテーブルのデザイナー) は別なのだが。バチョッキが有名人の名前を出さないのは謙虚だからではなく、単に有名デザイナーに興味がないからだ。「誰がデザインしたのか、そんなことはまったく気にしません。気に入ったから買う、それだけです」とバチョッキは宣言する。私たちがどう見てもアルネ・ヤコブセンデザインのものであろう椅子のそばに立っていると、人とは違う見解を持つバチョッキはスカンジナビア家具を好まないことを認めた。「なんというか、ありふれているんですよ」。
バチョッキはイタリア特有の文化を大事にしている。事実、彼の家にはイタ リア文化への執着が満ち溢れている。たとえば細長いホールのような部屋には 何百冊もの新品のような料理本のコレクションが置いてある。40年かけて集 められたものだが、イタリア半島と島々の料理を紹介するものがほとんどだ。 それらはさまざまな都市名が彫られたつるつるした銅版により、分類されてい る。たとえば、ピエモンテ、サルディーニャ、トスカーナ、そして“花の都”など。「私は物語や小説を読みません。18歳から読んでいないのです。他人が作ったファンタジーなど、興味がないのです。エッセイや歴史ものしか読みません」とバチョッキは明かす (もちろん、料理本は読むだろうが )。ただ、この家こそがバチョッキにとっては小説なのではないかと思う人もいるだろう。家自体に話がどんどん展開する章や、予期せぬことが起こる筋書きがあるようだから。「まさにその通り、そう言っていいでしょう」とバチョッキは頷く。
異なる情熱、あるいは熱烈な好奇心が各部屋、控室、玄関や応接間に表れて いる (いかなる空間も特別な名前を持たないのだとバチョッキは強調する)。バチョッキの職人魂への敬愛は顕著で、頼りになる地元の職人の電話番号を控えた電話帳を持っている。仕事机に広げられているのは試作品のカトラリーセットなど選りすぐりの作品だ。さくら材で作られた手彫りの持ち手は木の節をそのまま活かしたもので、ナイフの刃とフォーク部分は未加工で原始的。バチョッキはそのうちのひとつを取り上げ、その粗削りの美しさを堪能した。