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Kinfolk Case Study Room

前川國男の家具

  • Arts & Culture
  • Design

1964年に誕生した個性的な集合住宅“ビラ・ビアンカ”で1979年に前川國男がデザインした家具を見る。
Photography by Junpei Ishikawa. Words by CSR.

林原美術館(岡山 / 1966年)東京都美術館(1975年)熊本県立美術館(1977年)山梨県立美術館(1978年)福岡市美術館(1979年)国立西洋美術館新館(1979年)宮城県美術館(1981年)

これらは前川國男が担当した国内における7つの美術館(海外ではケルン市立東洋美術館 / 1976年)である。

師 : ル・コルビュジエが生涯をかけて追い求めた美術館建設は、インド・アーメダバードのサンスカル・ケンドラ美術館(1952年)と日本の国立西洋美術館(1956年) のふたつだけであり、その数は師を優に超える。

世俗的な美術品を中心に集客のみを考えれば良いという偏った考えをもつ公共施設の運営に危惧し、
「美術とは何か?」
「なぜ人間は芸術を必要とするのか?」
という疑問を、美術館を設計する上で常に自身に問い掛け続けた。
美や芸術に対するその厳しき姿勢は、師の美術館への想いを継承しようとする弟子の姿でもあり(前川はアトリエ在籍時の1929年にムンダニウム計画の世界美術館構想を描いたと言われる)芸術を誰よりも愛した前川のある種の執念とも言える。

世界美術館構想からちょうど半世紀。
福岡市美術館は前川の大まかなプランをもとに所員4名を中心に計画がスタートし、3年3ヶ月を要して「文化の日」である1979年11月3日に開館した。

床面積で1万4000平方メートルにもおよび、前川建築としては東京都美術館・宮城県美術館(ほぼ同じ床面積)に次いで3番目に大きな美術館である。2年後の1981年7月に運行開始予定である大濠公園北側の地下鉄の駅からと、駐車場のある南側からの人の流れを考察した流動性を得たエスプラナードを軸に、4つの展示棟に加えてやや性格を異している古美術展示棟を分け、高さ制限のある15メートル以下で設計することで、歴史ある文化と風土が残る風光明美な公園の中に違和感なく溶け込む原風景を作り上げた。

その福岡市美術館のために前川國男建築設計事務所がデザインし山形県の天童木工で製作された家具は、前川74歳、建築同様に晩年の傑作である。

AとBに別れた会議室用に椅子は40脚、卓子は38台が納められた。椅子の背と座は成形合板、アームと脚部はマホガニー無垢材を使用し、卓子の天板は柔らかな黄色のメラミン材、脚部は椅子と同じくマホガニー無垢材が使用されている。

椅子の座に採用されたのは緑色の生地。色の決定には総じて関わって来た前川であるが、自然の緑の色が「一番美しく敵わない」からとの考えから、家具や建築に緑色を殆ど採用されることはなかったと証言のある中で、どこよりも緑豊かな場所で“緑色”が採用された、大変興味深い作品だ。

これらの気品ある家具は、館内の集成材を使用した他の家具とは一線を画すような佇まいがあった。それは、美術館の会議室という一般の目に触れない場所において、運営側が良い意味での緊張感を持って会議・館の運営が行われることをも考えられたと推測する。なぜなら、「美術館が生きるも死ぬもこれは運営いかんであって、これが根本でしょう。」という言葉が示すように、前川はただ建築を設計するだけではなく、現場で働く人の立居振舞い、又それを支える精神的バックボーンといったものまでを含めて、一目でその施設とわかるような核となる部分も建築の一部として捉える稀有な建築家であったからだ。

歴史ある椅子と卓子は2017年に一度美術館より放出されたが、前述の所員4名のうちの1名の方に単純明快な保存方法に関わるアドバイスを頂戴し、私たちは歴史を含めて新たな人の元で原風景となるための橋渡しを担うこととなった。

こちらの写真で紹介している家具、雑貨の詳細はKinfolk Case Study Roomでご確認ください。

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