遊ばないと、それらは失われてしまうのでしょうか?
遊びが不足すると、深刻な影響が生じることがあります。たとえば、認知の柔軟性が失われ、固定観念にとらわれて創造的に問題を解決することが難しくなる場合があります。また、遊びの不足は、不安やうつになりやすくなることや、依存行動につながる可能性もあることがわかっています。本来なら遊びから得られるはずのものを、アルコールや薬物、SNS、砂糖など、別の手段で補おうとしてしまうからです。そうしたものは長期的な恩恵ではなく、あくまで一時的な気晴らしや安心感しか与えてくれません。
さらに、社会性の低下も起こり得ます。祖父の研究が示したように、遊びが不足すると、人と気持ちを通わせるための基本的な力が育ちにくくなり、他者への寛容さや共感力を築くことが難しくなります。その結果、心身の健康やウェルビーイングの低下につながってしまうのです。
大人になると、遊びの必要性はどのように変わるのでしょうか?
多くの人は、「子どもの頃にしていたことを大人がするものではない」と思い込んでいます。でも実際には、遊びたいという欲求を失うことはありません。ある種の遊びをしないように社会のなかで教え込まれていくだけなのです。子どもから大人になることで素晴らしいのは、遊びの可能性がむしろ大きく広がることです。子どもの頃は棒切れを手に裏庭を探検したり、段ボール箱をロケットに見立てたりして遊んでいましたが、大人になれば車や飛行機を使って、もっと広い世界を舞台に遊ぶことができるのです。
遊びは、人によって違うものなのでしょうか?
誰もが生まれながらにして、遊びたいという深い本能を持っています。ただ、その表れ方は人それぞれです。ものづくりが好きな人もいます。アートや音楽、工作をしたり、道具をいじったりすることに夢中になる人です。空想するのが好きな人もいます。本や映画の世界に没頭し、頭の中で想像の世界を広げることを楽しみます。競い合うことが好きで、上達や習得そのものを遊びとして楽しむ人もいます。また、整理することを楽しむ人もいます。コレクションを増やしたり、人が集まる場を企画したり、散らかった引き出しを片づけたりすることさえ、その人にとっては遊びなのです。そして、子どもに与えられる最高の贈り物のひとつは、その子がどんな遊びを自然に好むのかを見つけ、その芽を育ててあげることだと思います。
遊びとは何か、あるいは遊びになり得るものについて、もっと広い視点で考える必要があると思いますか?
そう思います。「あなたにとって遊びとは何ですか?」と尋ねると、多くの人は「ボードゲーム」や「自分の子どもがやっているスポーツ」と答えます。私たちは、遊びをとても狭い意味に限定してしまっています。本来、遊びとは、私たちを遊びの状態へ導くあらゆる活動です。それは、まるで夢を見ているような特別な心の状態で、普段の時間や空間の感覚から解放され、喜びや驚きといったポジティブな感情を呼び起こします。遊びは誰かに強制されるものではなく、自分自身がやりたいからやるものです。そして、その体験は自己強化的でもあります。つまり、遊んでいる時間だけでなく、その後も遊びによる良い影響が続いていくのです。
その条件を満たすものであれば、どんな活動でも遊びになり得ます。たとえば、コーディングが好きな人にとってはプログラミングが遊びになるでしょうし、料理が好きな人にとっては料理が遊びになります。極端な話、掃除だって遊びになり得ます。お気に入りの曲を流して、ほうきをマイク代わりに歌いながら掃除をすれば、それも立派な遊びなのです。
なぜ社会は遊びに対してこれほど消極的なのでしょうか?
遊びの研究者で心理学者のピーター・グレイなら、その答えを16世紀までさかのぼって説明するでしょう。宗教改革によって、「労働は道徳的な美徳であり、一方で遊びは罪を生み出すものだ」という価値観が広まりました。そこへさらに資本主義が加わります。より多く生産し、より多く消費することが成功だとされる。それが資本主義社会の理想ですよね。さらに、自動化やAIの進展も重なります。そうした価値観が優先される社会で遊びが称賛されないのは、ある意味では当然のことなのです。
デジタル化も影響しているのでしょうか?
因果関係を証明することはできませんが、スマートフォンなどの画面が遊ばなくなった一因であることは確かだと思います。画面をスクロールしていると、時間を忘れ、その瞬間は楽しく感じられるため、一見すると遊びのようにも思えます。しかし長期的に見ると、集中力の低下や孤独感の増大といった悪影響があります。スクロールしている間は人と人との本当の意味でのつながりを築いているわけではないのです。
もし誰もがもっと遊ぶようになったら、社会はどのように変わると思いますか?
遊びは、私たちの違いを溶かし、共通するものを思い出させてくれます。分断が進む世界の中で、遊びは人と人を結びつけ、より良い社会をつくるためのもっとも力強い手段のひとつです。遊びは私たちの心の壁を低くしてくれます。これは何度でも声を大にして伝えたいことです。意見が対立する相手でも、一緒に遊んでみれば、その人の人間らしさが見えてきます。また、今まさに社会で大きな課題となっている孤独や無関心、燃え尽き症候群への対抗策にもなり得ます。遊びは、本来持っている「夢中になって何かに取り組みたい」という内発的な欲求を呼び覚まし、時間があっという間に過ぎるような没頭の感覚を取り戻してくれるのです。
大人が遊ぶ楽しさを取り戻すには、何をすればいいのでしょうか?
まず、大人が自分本来の輝き、つまり、もっとも好奇心をかき立てられ、生き生きと感じられるものを思い出せるよう手助けします。そして、それを日常に少しずつ取り戻す方法を一緒に考えます。最初のステップは、人生でいちばん古い遊びの記憶を思い出すことです。周囲から「こうあるべきだ」と言われる前、自分は何をして遊ぶのが好きだったでしょうか。次に、その記憶をもとに、今の自分が好きなことを考えてみてください。昔は好きだったのに、長い間やっていないことを思い出してほしいです。そしてもうひとつ重要なことは、大きな変化を一度に起こそうとしても、うまくいくことはほとんどないということ。だから、30秒あれば十分だと考えています。先ほど思い浮かべたことをヒントに、朝や夜の習慣のなかに、ほんの30秒でも遊びの瞬間を取り入れてみてください。遊びの素晴らしいところは、自然と「またやりたい」と思わせてくれる力があることです。一度、遊ぶことを自分に認めてあげれば、自然とまた遊びたくなるのです。