今後は、仕事だからと仕方なく引き受けたり、断る勇気がないためにズルズルと続けたりしたくないと彼女は話している。「演技がどうしてもできない時期があるんです。不快な気持ちになってしまって。ある種の嫌なことは、やらなくてもいいと思う主義なんです」。無理に我慢しないのだと彼女は言う。「きっと失敗するから! そして『私にはできません』なんて謝罪するでしょう。でもそんなこと絶対に言ってはいけないんです。普通は何も言わずにじっと自分の恥に耐えるべきなんです。でも私は嫌なんです! だって結局いつか死んでしまうわけですよね? だったら苦手なことを我慢して、自分を痛めつけたくなんてありません」
幼少期のスレイトは、自分を取り巻く環境に違和感を覚えていた。同年代の子に対しては「みんなと私は違う」とつねに感じており、また自分の体に対しても「ずっと大人の体になりたいと思っていた」そうだ。夏のサマーキャンプは好きだったが、学校へ通うのは苦痛だった。「学校には良い思い出がありません。学校について考えると『何か足りない。ここは違う。もっと別の友だちがほしい。本当の私を見てくれていない。私らしくなれる場所がない』という声が繰り返し聞こえてきます」
だからこそスレイトは、メンターとして自身と似たような環境にいる子どもたちを支援したいのかもしれない。「子どもが何でも相談できる保護者のような存在になりたいのです」と話す。「素晴らしい未来を作れるような子をサポートしたいですね」。昨年、スレイトはケープコッド海岸の沖合にある過疎の島、カティハンク島の分校でスピーチをした。それは島の唯一の中学生であるグウェン・リンチの卒業式だった。カティハンクでは、スレイトのフィアンセのシャタックが作家のためのレジデンスを運営している。「グウェンと一緒に時間を過ごしました。私よりも背が高いんですよ。彼女はしっかりしていて、何をするべきかちゃんとわかっていました。だから私のスピーチは『スタート地点に立ったあなたは、これから世界で羽ばたいていきます。この素晴らしい島と村から恩恵を受けすべてを兼ね備えた人に育ちました。あなたの性格も心も、島のミネラルが豊富に含まれています』という内容でした」
徐々に日が暮れてきた。今夜のライブの時間が刻々と迫っている。ダンスが大好きだが踊っている姿は誰にも見せられないほど滑稽だ、とスレイトは話し、そして何かを思い出そうとして黙り込んだ。「きっとこの話をするとドラッグをやっていたと思われるし、話したことを後悔するかも」とわざわざ前置きをしてから最近彼女の頭から離れない“あること”について語ってくれた(ドラッグのくだりは冗談で言っているだけだ)。
「外から強い風が吹き込んでいて、カーテンの紐が上下に揺れ動いていたんです。とてもリズミカルな動きでした。それがすごく良かったので、ああ、私が振付師だったら作品にして劇場でお披露目できるのに、と思いました。まず上下にブンブン動くカーテンの紐の映像が流れ、それが突然消えます。また照明が戻ると、舞台の上にこの部屋にあるナイトテーブル、ランプ、電話の巨大なセットが置いてあります。紐の端についているプラスチックの留め具は、実はよく見ると白いレオタードを着たダンサーなんです。ハーネスを付けて吊り下げられていて、ドーンって強く壁に叩きつけられています。そんななか、突然電話が踊り始めるんです」。そのイメージを想像して彼女は興奮していた。「でもこのアイデアは実現できないでしょうね。私はパフォーマンスアーティストでもダンサーでもないですし、きっと笑われてしまうだけだから。
でも本当は」とさらに続けた。「ずっとこのイメージが頭から離れないんです! 構想を練っているだけで幸せな気持ちになるんですよ。自分が夢中になれることが嬉しいんです」
そこで私は提案した。次の本で書いてはどうですか?
「そうですね。ダンスの動きを文章で説明できるかもしれません。私に勇気があれば『ねえ、これを一緒に作らない?』って周りに声を掛けて、奇妙なカーテンの紐のニューエイジ・バレエを形にすることができるかもしれませんが。でも書くことはできますね。想像したことを事細かに書き留めたいと真剣に思っていますから」