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JOHN PAWSON

ジョン・ポーソン

  • Design
  • Volume 44

ミニマリズムの恩恵と呪縛について。
Words by Emma Moore. Photography by Alixe Lay.

ジョン・ポーソンは、広く称賛されつつも非難され、また模倣される建築のアプローチ、 ミニマリズムを確立した人物だ。しかも建築家として十分な教育を受けずして。 建築のアイコン的存在が、徹底的に省略し続けた40年間を振り返る。

ジョン・ポーソンはミニマリズムを定義し た人物だと評価されるが、それは自身が好ん で使う言葉ではない。しかし1996年に出版さ れたミニマリズムに関する本のタイトルは 『Minimum』で、このミニマムという言葉は 間違いなくポーソンを表現している。ポーソ ンにとってミニマリズムとは、引き算で改善 することがもはや不可能になったときの、物 や空間の質を表す言葉である。そしてそれこ そがポーソンの活動の基盤なのだ。

規律正しくニュートラルなスタイルは、 ヨークシャー・メソジスト派のルーツと、型に はまらないことへの挑戦意欲を物語っている が、ユーモアのセンスもその一翼を担ってい る。ハリファックスで父親が経営する繊維会 社で働いた後、20代で日本に飛び3年間英語 を教えるという生活を送り、最終的に東京に たどり着いた。1 そして著名なデザイナー倉 俣史朗に薫陶を受け、イギリスに帰国し、ロン ドンのAAスクールで建築を学んだ。 ポーソンはコースを修了せず、建築家とし てのキャリアは遅めのスタートとなった。し かしデザインに対する強い意識を持ってこの 職業に就き、それ以来40年間、事務所を経営 し成功を収めている。これまでにロンドンの デザイン・ミュージアムやボヘミアのノ ヴィー・ドヴール修道院といった大規模なプ ロジェクトをはじめ、数え切れないほどの個 人住宅、店舗、ボート、ホテル、教会、家具、テ キスタイル、そして2018年にはコッツウォル ズにある自身の別荘を手がけている。2

自分のビジョンに忠実であり続けながら業界 の変化を乗り切り、定評のある事務所を長年 運営する秘訣は?

素晴らしいチームやクライアントに恵まれ たこと。そして倉俣から学んだように、一生 懸命働いたこと。明確なビジョンを持つこ とです。私はいつも自分にとって意味のあ る作品を作ってきました。本質を見極め、足 し算も引き算もできないところまでデザイ ンを落とし込んだものです。そしてインテ リアデザインや装飾を含むすべてのものに 対して同じアプローチを取っています。こ れは表面の質、接合部、光、プロポーション に重点を置き、雰囲気のある空間を作るた めに削ぎ落とす作業です。

明確で認知度の高いスタイルを確立しなが ら、自身の作品のパロディにならないように する方法について教えてください。

私はずっと同じ感覚を持ち続けています。 幼い頃から家が快適であることに興味があ りました。日本では外国人講師にアパート が与えられていたのですが、その壁紙に耐 えられませんでした。そこで壁全体を白く 塗ったのですが、夢中になりすぎて1層目の ペンキが乾かないうちに2層目のペンキを 塗り始めてしまったため、いつまでたって もペンキは乾きませんでした。私はそのベ タベタした壁を忘れないようにして日本を 後にしました。つまり重要なのは、建築的に 正しいと感じることに忠実であること。そ れはとても個人的な感覚です。だから私は 今の規模以上の成長を望んでこなかった。 すべてのプロジェクトにきちんと関わりた いと思ってきたのです。おそらくこれは ヨークシャーの気質なのでしょう。正直で 率直ですから。

 

( 1 ) ハリファックスは、19世紀にヨークシャーの繊維産業と街の多くの織物工場によって富を築いた。ポーソン家はその伝統を引き継ぎ、婦人服や織物を製造していた。
( 2 ) ポーソンは、1610年に建てられた農場を3つのキッチンと28の部屋を持つ別荘〈Home Farm〉に改築した。妻のキャサリン・ポーソンは料理好きで、ジョンと共同で『Home Farm Cooking』という季節のレシピ100品を集めた料理本を出版している。
( 3 ) エリート主義の伝統と高額な学費で有名なイギリスのイートン校に通っていた頃にポーソンの美学は急成長した。同校で寮生活を送っていたとき、ポーソンは白いハンモックを設置して寝ようとしたこともあった。

建築を専門的に学んでいないことが問題に なったことはありますか?

それで不利になったことは一度もありませ ん。比較的遅くこの世界に入ったので、社会 経験も十分ありました。それに私の嗜好や 方向性は非常に特殊です。イートン校に 通っていたことが関係しているのかどうか はわかりませんが、自分に自信があります し、この自信が役立っています。3 「資格を 持っていますか?」と聞かれたこともあり ません。たしかに世間に知られるにつれて 「ちょっと待って。本当に資格がないのです か?」と言う人も出てきました。でも資格が あるなんて、私は一度も言っていませんよ。

建築はウェルビーイングとって大切なので、 質感や色彩を多用するべきだという考えが増 えています。そのような動きに影響を受ける ことはありますか?

いえ、まったく影響されません。70年代に 建築を始めた頃は、みんな私のことを変だと思っていました。姉が「ミニマリストクラブへの入会申込書を送ります」と白紙の紙を送ってきたことがありましたよ。でも私の別荘に来た人たちは「わぁ!」って感嘆 の声を上げます。その反応がすべてですよね? 気に入ってくれたのでしょう。あるいは教会で神を身近に感じたり、レストランでは食欲を刺激したり。それぞれの空間は、 人が住んだり、働いたり、祈ったりするため のものであり、そのために設計されていま す。人工的な色は必要ないと思っています。

ご自身のスタイルやビジョンは時代とともに変化してきましたか?

正直に言うと、変化していないと思います。 もちろん、進化していますし、素晴らしい チームによって維持され改善されてはいます。スタッフの多くは20年以上在籍していますし、若い世代もいます。みんな意志が強 い。「デザインは最高だけど、こことここだけ変えてもらえないかな」と私が言っても 「はいはい、それは良いアイデアですね」と答えて何も変えてくれませんから。直っていないことに気づいたときには、もう手遅 れと言われます。

まだ挑戦していないものはありますか? 次はどのような活動を予定していますか?

大規模なもの、空港や駅ですね。リストにはありましたけどね。以前はウィッシュリ ストを作っていましたが、今は用意された プロジェクトに没頭できるだけで幸せで す。小さなことがうまくいくと喜びを感じ るのです。

次はどのような活動を予定していますか?

誰も永遠に続けることはできません。後継 者がいなければなりませんから。だから信 託を考えています。経済面でも管理面でも 私はやがて手を引くことになり、チームが それを引き継いでいくのです。メンバーは 誰も「ミニマリスト」ではありません。誰も私ではないし、私になるために雇われたわ けでもない。才能あるデザイナーであり、優れた建築家であるから雇われたのであっ て、私になるためではありません。

ロンドンにある事務所の倉庫は、ポーソンならではのミニマルなスタイルとは対照的だ。

ロンドンにある事務所の倉庫は、ポーソンならではのミニマルなスタイルとは対照的だ。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 44 に掲載されています

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