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RUBEN ÖSTLUND

リューベン・オストルンド

  • Films
  • Volume 42

リアルで型破りな作品で躍進。人間関係の気まずさを描くフィルムメーカー。
Words by Elle Hunt. Photography by Sina Östlund.

スウェーデンの映画監督リューベン・オストルンドの人生は、まるで社会実験そのもの。たとえば、彼が初めてビジネスクラスに乗るようになった頃、以前よりもゆっくりと食事をし、自分の感情をコントロールし、一般的に「少し洗練された」振る舞いをしている自分がいることに気づいたと話す。

オストルンドは、まるでダジャレを言うように心理学の論文を引用し、共通の友人についての噂話に興奮しているかのように、人間行動学についての洞察を語る。もっとも気に入っている発見のひとつは、「人は何もすることがない状況かでは、ひとりで物思いにふけるよりも、電気ショックを自分に与えることを好む」というものだ。

「社会学は愉快だと思う」と彼は話す。脚本家であり映画監督でもあるオストルンドの映画は、極めて博識で頭の切れる友人たちと遊ぶ「究極の選択ゲーム」のようなもの。彼の作品はどれも、観る者の共感と思い込みが試される内容で、自らの思考の矛盾に立ち向かう勇気を与えてくれる。

たとえば、2014年のブレイク作品『フレンチアルプスで起きたこと』では、雪崩から家族よりも自分自身を守ろうとした夫のとっさの行動により、その後妻との関係が悪化する。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では、現代アートという超現実的なレンズによって男らしさと特権がゆがめられる。彼の初の英語作品『逆転のトライアングル』は、遭難した豪華客船が漂着した無人島で、セレブの乗客と船員たちがサバイバルを繰り広げる。1

この3作品すべてにおいて脚本と監督を兼任したオストルンドの名声は、着実に高まっている。2022年に『逆転のトライアングル』でパルムドールを受賞したカンヌ映画祭に、今年は審査員として戻ってきた。限界に挑戦する覚悟で選考会に臨んだ彼は、「意見が一致するというのがもっとも退屈」と映画祭のオープニングで宣言した。その言葉は、審査委員長を務める自分自身に向けられていたのだろう。

この取材をしたのは、カンヌ映画祭閉幕から1週間後の5月末。彼は、映画祭の仕事はストレスが大きかったと認め苦笑した。「審査員長は外交官のような役目。みんなが発言しやすい環境を作るのが仕事です。でも私は、もともとアジテーター(扇動者)タイプなんです」(とはいえ、最高賞パルムドールを受賞したフランス人監督ジュスティーヌ・トリエの『Anatomy of a Fall(英題)』を評価した委員会の決定には満足しているそうだ。)

オストルンドは、妻であるファッション写真家シーナ・オストルンドの撮影のため、家族で来ているハンブルグの滞在先のキッチンテーブルからZoom越しに話している(彼らは通常ヨーテボリとマヨルカ島で2拠点生活を送っている)。ついさきほどまで幼い息子、エリアスと昼寝をしていたそうだ。しかしエリアスは友人に預けたため、取材中にカメラに登場することはなかった。映画祭の華やかさ、きらびやかさ、そして厳しい討論の後、家庭的な生活に戻れるのは嬉しいことだ。しかしオストルンドはカンヌでの体験でさえもフィールドワークとして捉えていたようだ。

(1) この映画は、登場人物の多くが激しく船酔いし、船の下水設備が噴出するのと同時に乗客たちが嘔吐をする15分に及ぶシーンで有名である

「私はいつもジレンマを追求しています。複数の選択肢があり、しかもどの選択肢も解決策ではないという状況を作ります」

カンヌでは審査委員長としてVIP待遇を受けていた。「身辺警護も含めて」と彼は困惑気
味に言う。「カンヌで14日間、運転手とボディーガード付きという生活から打って変わって、ベビーカーで公園に行き、息子の面倒を見るというのはおもしろい体験ですね」

オストルンドの持つ、人の本質に対する興味は、幼い頃から教師である両親によって養われた。それを意識したもっとも古い出来事のひとつは、10歳くらいの頃、父親と一緒に行ったデンマークで出くわした1台のロールス・ロイスだった。その高級車の運転手は、ボンネットの天使のオーナメントを意図的に取り外していることを彼らに教えてくれた。その理由は、あまりに多くの人がオーナメントに唾を吐きかけるからだった。「あの頃からずいぶん世の中は変わりました」とオストルンドは語る。「80年代は、富を誇示することは恥ずかしいことだったのです」(少なくともスカンジナビアでは、と彼はつけ加えた)

こうした記憶がそのまま彼の映画に反映されることも少なくない。オストルンドが16歳のとき、母親から聞いた「アッシュ適合性試験」もそのひとつ。1935年に行われた有名な心理学実験で、集団における同調圧力の影響を調べたものだ。この実験では、面識のない被験者たちに単純な論理問題を解かせたところ、参加者の3分の1が、たとえそれが明らかに間違っていても、多数派に支持されるような回答をしてしまうことがわかった。オストルンドの母親は彼女の生徒たちにも実験を行ったという。「当時は『どうしたらそんなことになるのだろう?』と思っていました。それからずっとこの実験を忘れることができませんでした」

数十年後、オストルンドが監督した2007年の映画『インボランタリー』で扱っているテーマは同調圧力だった。2 物語を進めるための衝突や、最近よく見られる登場人物の過去の苦難を軸に展開するトラウマ系のプロットに頼るのではなく、場面々々で社会的道徳観を斬り込む。「私はいつもジレンマを追求しています。複数の選択肢があり、しかもどの選択肢も解決策ではないという状況を作ります。特定の個人のストーリーではなく、特定の状況や設定に人がどう対処するかというのが焦点です」

オストルンドは映画を通して、私たちに共通する人間性を浮き彫りにする。たとえそれが予想外であったり、いささか滑稽なシチュエーションであったとしても。彼がもっともつまらないと思うのはサイコパスの話だ。「というのも、問題は最初から解決済みだからです。そのサイコパスを逮捕して牢屋に入れるだけ」と肩をすくめて話す。「物理的に危険なのではなく、社会的に危険なストーリーに惹かれます」

(2) 集団力学は、『インボランタリー』を構成する5つの物語に登場する。たとえば、ある学校の教師が生徒たちに多数派に従わないよう指導するが、その後、職員室で同調圧力にさらされている自分に気づく。

観客もまた、『フレンチアルプスで起きたこと』のように突如として耐え難いほどにあらわになった夫婦の亀裂のような、リアルで人間味あふれる問題のほうが共感しやすい、と彼は主張する。同映画は、オストルンドが若かった頃、アルプスのスキーリゾートで働いた経験から生まれた。そこでスキー映像を撮り始め、後に映画学校への入学を果たしている。「私は映画出身ではありません。スキー場で下積み時代を過ごしました」

2001年に卒業したオストルンドは、教師陣の影響でフランスのヌーヴェルヴァーグに傾倒していた。そして、その数年前にデンマークでラース・フォン・トリアー監督が始めた映画運動、ドグマ95のリアリズム映画製作にも触発されていた。3  当初、彼にとって映画作りは技術的あるいは美学的な挑戦だった。観客を巻き込むことの重要性を理解し始めるまでに10年もかかった。

2011年のカンヌ国際映画祭で上映された『プレイ』のプレミア上映で、オストルンドはカップルの後ろに座った。ふたりは、6分間にもおよぶオープニングのシーンに明らかにいらだっている様子だった。オストルンドはカップルの男性のほうが深いため息をついたり、目を丸くしたり、首を傾げたりした仕草を私に真似てみせた。「とてもつらい瞬間でした」と彼は言う。しかしこれを機に、自分の映画が挑戦的であると同時に、人々を惹きつけるものでありたいと思うようになった。

「典型的なジャンルの、ヨーロッパのアート系映画を作っていたことに気がつきました。そして、そこから脱却したくなりました。ワイルドでエンターテインメント性があり、同時に考えさせられる映画を作りたかったのです。自分自身が観たいと思うような作品です」そうして自分を喜ばせるために作った映画で、彼は批評的にも商業的にもこれまでで最大の成功を収めた。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』と『逆転のトライアングル』は2017年と2022年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、オストルンドは2度の受賞を果たした史上9人目の監督となった。けれども、彼の作品がこれまでで最大かつもっとも幅広い観客に支持されたのはこの1年間だ。それは『逆転のトライアングル』がアカデミー賞に3部門でノミネートされ、全世界で3,820万ドルの興行収入を記録したからだ。 挑発的なキャンペーン(英語の見出しは「裕福な特権階級の人たち、これはあなたのための映画です」)は、オストルンドの宮廷道化師あるいはシェイクスピアの愚者としてのイメージを強化し、権力者に鏡を突きつけてお世辞にも立派とは言えない真の姿を映し出した。

しかし、この成功は緊張の高まりを浮き彫りにしている。というのは、彼の知名度が上がり映画がメインストリームになるにつれて、彼が串刺しにしようとする社会的なグループに彼自身が近づいているからだ。超富裕層を容赦なく風刺しているにもかかわらず(いや、むしろそれゆえ)、『逆転のトライアングル』はカンヌ国際映画祭で8分間のスタンディングオベーションを受けている。

オストルンドのような“エセ”社会学者にとって、同映画の上映会はどれも興味深いものだった。観客のリアクションを目の当たりにできるからだ。パリでの上映会では、ある観客がこの映画の富裕層の描写は「単純すぎる」と声を荒げたそうだ。「でも実は、彼はフランスでも有数の金持ちで、億万長者だったんです。そんな人を怒らせられたなんて嬉しい限りです」と苦笑する。

また、あるときは観客の反応が微妙なこともあった。たとえば、ある豪華クルーズ会社がチャリティーのために開催した『逆転のトライアングル』の上映会にオストルンドが招かれ、スピーチをしたときがそうだった。「あれはちょっと意外でしたね」と彼は笑う。「自分がやろうとしたことが失敗に終わったのではないかと、自問自答しています」

オストルンドは、ハリウッドで流行している“イート・ザ・リッチ(金持ちを食いちぎれ)”というようなワンパターンな考え方は好きではない。とはいえ、彼はこのトレンドを作ったとも言われている。不平等に関する議論は個人に焦点を置きすぎていると彼は述べる(けれども「億万長者は税金を払うのを好まないというのは事実だ」と彼はつけ加えた)。『逆転のトライアングル』で彼が意図したのは、階級と特権を支える経済的・社会的な構造そのものを追求することだった。

彼の母親によって培われたマルクス主義政治への理解は、ウディ・ハレルソンが演じる共産主義者の船長役や、災難によって立場が逆転する客船の階層化された社会を描くのに役立った。「左翼主義はハリウッドとほとんど同じように社会を描写します。金持ちの資本家は悪で、底辺の貧しい人々は純粋でいい人たち」と彼は言う。

「左翼主義者はマルクスのことを忘れてしまったようですよね? 私たちの行動は、経済的、社会的構造において、どのポジションにいるかに由来します」。もちろん、それは彼自身にも当てはまる。「私は自分が主人公たちよりも恵まれているとも劣っているとも思っていません」

(3) ドグマ95は、ラース・フォン・トリアーが、特殊効果やポストプロダクションの使用を拒否することで映画製作を「純化」することを意図して創設したデンマークの前衛運動である。マニフェストにある10の戒律は、「純潔の誓い」と呼ばれている。

(4) 『逆転のトライアングル』は、本年度のアカデミー賞で作品賞、脚本賞、監督賞にノミネートされた。

「私は自分が主人公たちよりも 恵まれているとも劣っているとも思っていません」

それこそが、彼にとって社会学のレンズとしての映画の偉大な力なのだ。映画は、人のありのままの姿を映し出し、行動や信念に潜む影響力に光を当て、それをみんなで考えることを可能にする。『逆転のトライアングル』で彼は、現代にありがちなサイロ化されたソロストリーミング(単独で映画をみること)に反抗し、集団的な体験を作り出そうとした。「映画館に足を運んでくれた観客に、みんなでジェットコースターに乗っているような気分になってほしかったのです」

しかし同作品は一部の批評家たちに、特にアメリカで、露骨な反金持ちの戯言として評された。5  微妙なニュアンスが理解されなかったり、意図が読み違えられたりするのは「もちろん、いらだたしい」と彼は言うが、個人的な責任や創造的なリスクを回避しがちな現代の風潮の中では、「予想外のことではない」とする。そして「スウェーデン語ではなく、初めて英語で作った作品なので、ユーモアを押し出すためにもパンチを強くしなければならないと感じました」と彼は語る。(ウィル・フェレルとジュリア・ルイス=ドレイファス主演の『フレンチアルプスで起きたこと』の2020年アメリカ版リメイク『ダウンヒル』は、オストルンドの辛辣なコメディ要素をよりソフトに表現している。)

彼の場合、失敗・成功を決定する尺度は、自分との関連性だ。「登場人物の行動に共感できなければ失敗です。自分も彼らと同じ行動をする可能性がなければなりません。そうでなければ、映画にしません」。リサーチを重ねた結果、『逆転のトライアングル』では、もっとも非難されるべき富裕層の乗客にさえ共感することができたとオストルンドは言う(ただし、「かなり無理しなければならないところもありました」と認めている)。

人間性に対する彼の個人的な視点は、その作品から想像されるよりもポジティブだという。「私たち人間は、みんなで協力し合い、お互いを気遣うことに長けていると思います。平等な社会を作ろうと頑張っています。ただ私の映画は、人間が失敗している場面に焦点をあてているだけなのです」と笑顔でつけ加えた。

成功により体制に吸収されるどころか、以前よりも大胆になっているようだ。富裕層が集まるカンヌ国際映画祭で『逆転のトライアングル』を上映するという間接的な社会実験を行ったオストルンドは、次回作では挑発的な演出を直接行うつもりでいる。

(5) 『ニューヨークタイムズ』紙の批評家A.O.スコットは、この映画を「現代の偽善を批判する、上辺だけのわかりやすい風刺」、「(60年代のコメディドラマ)『ギリガン君SOS』のアート系リメイク作品」と特に酷評している。

(5) 『ニューヨークタイムズ』紙の批評家A.O.スコットは、この映画を「現代の偽善を批判する、上辺だけのわかりやすい風刺」、「(60年代のコメディドラマ)『ギリガン君SOS』のアート系リメイク作品」と特に酷評している。

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こちらの記事は Kinfolk Volume 42 に掲載されています

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