「その土地を理解すれば、 カメラの置き場所も、 ふさわしい登場人物や物語も見えてきます」
映画監督をやめて、批評や絵画の執筆に戻る覚悟はいつでもできていた。しかし1974年、聡明な9歳の少女の面倒を見ることになったジャーナリストを描いた低予算のロードムービー『都会のアリス』を撮り、この映画を通して「自分の表現が見つかり、大きな安堵を覚えました」と語っている。この映画は高評価を得て、ヴェンダースに新たな成功をもたらした。当時、『ニューヨークタイムズ』紙は「細かく計算された、上質で知的で最終的には感動的な映画をお探しなら、第12回ニューヨーク映画祭の一環として今夜上映される、この作品をお勧めする」と記している。ヴェンダース曰く、この映画は、「誰の力も借りずに」映画を作ることができることの証明であった。
ヴェンダースの「ロード・ムービー」3部作の第1作『都会のアリス』では、ドイツ人ジャーナリストがアムステルダム、ヴッパータールを経由してニューヨークからミュンヘンへと旅をする。ヴェンダースの物語はしばしば部外者の視点から語られる。登場人物はしばしば「通過者」であり、あるいは特定の視点から物事を見ている。「よそ者であることは特権だといつも思っていました。違った視点で物事が見れるし、地元の人たちよりもいろんなことに注意を払うようになるからです」。ヴェンダースのもっともロマンチックな作品であり、高く評価されている『ベルリン・天使の詩』(1987年)は、ベルリンへの街を見下ろすふたりの天使を通して綴る、ベルリンへのラブレターである。3ヴェンダースは、1970年代半ば以降繰り返し住んでいたベルリンの街を再発見する手段として、ベルリンを離れた8年間後にこの映画を制作した。
ヴェンダースの映画制作は、特定の場所に興味を持つことから始まる。「場所が決まってから、そこにふさわしい物語を考えます。どこでも起こりうる物語にはまったく興味がありません」。外国人観光客向けの名所ではなく、「リアル」な場所を見つける直感は、旅好きが高じて培われたものだった。「知らない街や風景を発見するために、地元の人に『おもしろい場所』を教えてもらおうとはしません。それは私が求めているものではないから。左折するように言われれば、私はあえて右折します」
ヴェンダースの近作『PERFECTDAYS』(2023年)は、渋谷のトイレの清掃員が、日常のささやかな楽しみを求めて自由な時間を過ごす姿を描いている。そこに登場する東京は、通常映画で描かれるようなカオスで喧騒に満ちた大都市ではない。ネオンが眩しいショッピングモールや混雑した横断歩道ではなく、ラーメン屋や古本屋、銭湯が舞台となっている。「ごく平凡で、時には人々から忘れ去られた場所でも、歴史が残した痕跡を見逃さなければ、多くのことが見えてくるものです」
ヴェンダースはこれまでにも、映画界の伝説的存在である小津安二郎を描いた『東京画』や、ファッションデザイナー山本耀司の『都市とモードのビデオノート』などのドキュメンタリー作品を通して東京を探求し続けてきた。『PERFECTDAYS』もまた、渋谷のアートプロジェクト「THETOKYOTOILET」を題材にしたドキュメンタリーになるはずだった。けれどもパンデミック後に東京に降り立ったヴェンダースは、この街が再び活気を取り戻していく様子に心を動かされた。そして、役所広司が演じる、主人公・平山にその物語を語らせることに決めた。「その土地を理解すれば、カメラの置き場所も、ふさわしい登場人物や物語も見えてきます」
ヴェンダースはフィクションとドキュメンタリーの両分野で幅広く活動してきたが、年を重ねるにつれて、「この区分はもう自分にとってあまり意味がないと感じるようになり、最近の2作では、その区分を取っ払いました」と書いている。やがてヴェンダースは、自分のフィクション映画では「いつも可能な限り真実を入れようとしてきたこと、そしてドキュメンタリーではフィクションの要素を取り入れることに熱心であったこと」に気づいた。たとえば、画家であり彫刻家でもあるアンゼルム・キーファーを追うドキュメンタリー『アンゼルム“傷ついた世界”の芸術家』では、ドレスの彫刻がまるで幽霊が宿っているかのようにささやく。また、アカデミー賞にノミネートされたドキュメンタリー映画『Pina/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』で観客は、没入感のある3D映像を通して振付家のパイオニアであるピナ・バウシュと新表現主義の「タンツテアター」を知ることになる。4「なぜ私はピナ・バウシュの舞台を見て涙を流したのか。なぜ彼女のパフォーマンスは、今までつくられたどんな映画よりも男女の関係について多くを教えてくれるのか。その答えは映画を撮ってみないとわかりませんでした。映画は探究するための最高の手段なのです」
映画監督、デザイナー、ダンサー、画家、写真家。ヴェンダースのドキュメンタリーの多くは、クリエイティブな人物にスポットを当てている。「全員が冒険家であり、作品は冒険物語である」と説明する。ヴェンダースは、小津、山本、バウシュ、キーファー、そしてブラジルの写真家セバスチャン・サルガド(『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』2014年)のようなドキュメンタリーの主人公たちは、「人間の心と人間の状態を探求してきたが、地球の表面を歩き回るのではなく、人々の魂の中に入り込み、未知の領域を発見した」と語る。
「ごく平凡で、時には人々から忘れ去られた場所でも、歴史が残した痕跡を見逃さなければ、多くのことが見えてくるものです」
ヴェンダースが次に開拓する未知の領域は“スロー”なプロセスで知られるスイス出身の建築家、ピーター・ズントーのミニマリズムの世界。長期にわたりロサンゼルス郡立美術館の再設計に取り組んでいる建築家だ。ズントーをフィーチャーした近日公開予定のドキュメンタリー映画『TheSecretsofPlaces(原題)』は、『ピナ』の時と同様、3Dで撮影している。「雑誌で見るような平面ではなく、建築を立体的に体験できる唯一のメディアが映画です」。ズントーはこれまで20ほどの建築しか手がけていないが、そのどれもが唯一無二の傑作だとヴェンダースは感じている。さらにユニークなのは、その手法だ。「ズントーのチームは小規模で、スタッフも数人だけ。必要だと思うものしか作らない」とヴェンダースは説明する。忍耐、正確さ、思慮深さ、実用性。ヴェンダースは、ズントー作品が持つこれらの資質に魅せられており、そのアプローチは「建築の中で『存在する』ことや『生きる』ことを、まったく異なる方法で実践している」と語る。
いかに生きるのが最善か。これは、ヴェンダースが生涯こだわり続けているテーマである。ドキュメンタリーでアーティストを深掘りすることも、フィクションで日常に細心の注意を払うことも、この思いが原動力となっている。最近では「よりよく生きるためには、気が散るものから自分を切り離すことがますます重要になってくる」と述べ、次のようなルールを掲げている。「飛行機では映画を観ない。家ではテレビをつけない。インターネットから距離をおく。携帯電話は日中、短時間しか使わない。SNSなんてすることすら考えない。たくさん歩く!木を身近に感じる!自分のペースを守る!人の目を見て話す。早く寝て、しっかり眠る(これこそが本当の贅沢です)。車の代わりに自転車に乗る」
今年の8月、ヴェンダースは80歳を迎える。「自分のレガシーには興味がありませんが、死んだ後も、私の映画が観られることを願っています」。2012年、ヴェンダースは妻のドナータとヴィム・ヴェンダース財団を設立した。この慈善団体は、ヴェンダースの全作品の権利を所有し、作品を永久に視聴者へ公開する権限を持つ。「作品の所有権は私にはありません」と語るが、この財団を通じて「作品自体が収益を上げ、いかなるアーカイブやプロデューサー、映画ライブラリーからも独立して存在し続ける」ことになる。映画保存の行為であると同時に、寛大さの表れでもあるのだ。5
節目となる誕生日は特別なことをしないそうだ。「愛する人たちと一緒に田舎で、私が愛してやまない老木の下で過ごします」