それ以来、ローマンは「ちっぽけなメディア会社」と称するビジネスを展開している。ニュースレターの購読者は28万4000人を超えている(3冊目の料理本『SweetEnough』のレシピをモチーフにしたNoraEphron’sBreadPuddingと刺繍されたキャップなど、オリジナルグッズもすぐに完売になるほど、熱心な購読者が多い)。他にもポッドキャスト『SolicitedAdvice』や動画シリーズの『HomeMovies』を発信している。ローマンは、このような活動をインターネットの「平和なコーナー」で行っていると表現する。「私はいま、本当に良い環境にいると感じています。ニュースレターを発行するのはとても楽しいです。インターネットの活動は虚空に向かって叫んでいるような気分になることが多々ありますが、ニュースレターは、私の仕事に興味を持ってくれている人たちとコミュニケーションをとる最善の方法だと感じています」
カリフォルニア州のサンフェルナンドバレーで育ったローマン。もっとも古い食の記憶は、ユダヤ人である父親が作ってくれたマッツァ・ブライ(マッツァと呼ばれるクラッカーと卵の炒め物)や、ユダヤ料理のデリで一緒に食事したこと。そして母親がマスのフィレやアスパラガスの蒸し煮などのカリフォルニア料理を作ってくれたことだ。ローマンは幼少期に、みんなで集まって食べることは幸せなことだと学んだ、とかつて言及している。
19歳のとき、大学を中退したローマンは、ロサンゼルスの有名レストランSonaでパティシエとして働き始めた。この職に就いてすぐさま、人生の進むべき道を見つけたと確信した。「これは自分の得意分野だと思いました。当時はまだ技術がありませんでしたが、きっと将来的にすごく上達するのがわかりました。本当に夢中になれるものを見つけたからこそ、自信があったのだと思います」。その後、ニューヨークに移り住み、ベーカリーMomofukuMilkBarが文化的ピークを迎えていた頃、そこで働き始めた。1そして料理雑誌『ボナペティ』でメディア界のスターとして、そしてインターネット界の有名人としてブレイクした。そして2018年、『ニューヨークタイムズ』紙のコラムニストになると、ローマンのレシピは独自のハッシュタグ(#TheCookies、#ThePasta、#TheStew)が生まれるほど人気になった。しかし、レシピの数々がバズっていたときでさえ、その成功は一時的なものだという不安があった。「レシピが話題になるたびに、これが最後だと思いました。長続きするはずないと。いまは、1つのレシピだけに注目が集中するのではなく、長く着実に輝かしいキャリアを築きたいです。『アリソン・ローマンのレシピなら絶対おいしいよね』というふうに思われる存在になりたいです。世界を席巻するような一発を狙うよりもね」
そのために、さまざまな計画を手がけており、最近は新しい料理本に取り組んでいるそうだ。最終的なプランは、一種の帝国を築き上げることだと話す。そして食料品店がその一翼を担うことを願っている。「前からFirstBloomが実店舗を超えた存在になることを思い描いていました。それがどういうことになるのかはまだわからないけれど、いくつかアイデアはあります」
自信を失うこともあるが(「私はそういう性格なのです」)、直感を信じ、自分の好きな料理を作り続け、オーディエンスがそれを受け入れてくれることを信じようと決めたという。レシピを作る際、不必要に高級食材を使わないように気を使う以外、オーディエンスに対して責任を感じていないようだ。「これだけ多くの人の中から私を選んでフォローしてくれることはとても嬉しいです。でも内容が楽しくないと思われたとしても、私に責任があるとは思いません。『こんなレシピは嫌い』と言われたら、私は『じゃあ、作らなくていいよ』と反応します」
すべての活動を通して、何よりも自分らしくあることを心がけているローマン。「本の宣伝で訪れた書店や、人生のあらゆる場面で、実際に会った方々に言われて一番嬉しいのは『想像どおりの人ですね』という言葉です」と微笑んだ。