観客もまた、『フレンチアルプスで起きたこと』のように突如として耐え難いほどにあらわになった夫婦の亀裂のような、リアルで人間味あふれる問題のほうが共感しやすい、と彼は主張する。同映画は、オストルンドが若かった頃、アルプスのスキーリゾートで働いた経験から生まれた。そこでスキー映像を撮り始め、後に映画学校への入学を果たしている。「私は映画出身ではありません。スキー場で下積み時代を過ごしました」
2001年に卒業したオストルンドは、教師陣の影響でフランスのヌーヴェルヴァーグに傾倒していた。そして、その数年前にデンマークでラース・フォン・トリアー監督が始めた映画運動、ドグマ95のリアリズム映画製作にも触発されていた。3 当初、彼にとって映画作りは技術的あるいは美学的な挑戦だった。観客を巻き込むことの重要性を理解し始めるまでに10年もかかった。
2011年のカンヌ国際映画祭で上映された『プレイ』のプレミア上映で、オストルンドはカップルの後ろに座った。ふたりは、6分間にもおよぶオープニングのシーンに明らかにいらだっている様子だった。オストルンドはカップルの男性のほうが深いため息をついたり、目を丸くしたり、首を傾げたりした仕草を私に真似てみせた。「とてもつらい瞬間でした」と彼は言う。しかしこれを機に、自分の映画が挑戦的であると同時に、人々を惹きつけるものでありたいと思うようになった。
「典型的なジャンルの、ヨーロッパのアート系映画を作っていたことに気がつきました。そして、そこから脱却したくなりました。ワイルドでエンターテインメント性があり、同時に考えさせられる映画を作りたかったのです。自分自身が観たいと思うような作品です」そうして自分を喜ばせるために作った映画で、彼は批評的にも商業的にもこれまでで最大の成功を収めた。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』と『逆転のトライアングル』は2017年と2022年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、オストルンドは2度の受賞を果たした史上9人目の監督となった。けれども、彼の作品がこれまでで最大かつもっとも幅広い観客に支持されたのはこの1年間だ。それは『逆転のトライアングル』がアカデミー賞に3部門でノミネートされ、全世界で3,820万ドルの興行収入を記録したからだ。4 挑発的なキャンペーン(英語の見出しは「裕福な特権階級の人たち、これはあなたのための映画です」)は、オストルンドの宮廷道化師あるいはシェイクスピアの愚者としてのイメージを強化し、権力者に鏡を突きつけてお世辞にも立派とは言えない真の姿を映し出した。
しかし、この成功は緊張の高まりを浮き彫りにしている。というのは、彼の知名度が上がり映画がメインストリームになるにつれて、彼が串刺しにしようとする社会的なグループに彼自身が近づいているからだ。超富裕層を容赦なく風刺しているにもかかわらず(いや、むしろそれゆえ)、『逆転のトライアングル』はカンヌ国際映画祭で8分間のスタンディングオベーションを受けている。
オストルンドのような“エセ”社会学者にとって、同映画の上映会はどれも興味深いものだった。観客のリアクションを目の当たりにできるからだ。パリでの上映会では、ある観客がこの映画の富裕層の描写は「単純すぎる」と声を荒げたそうだ。「でも実は、彼はフランスでも有数の金持ちで、億万長者だったんです。そんな人を怒らせられたなんて嬉しい限りです」と苦笑する。
また、あるときは観客の反応が微妙なこともあった。たとえば、ある豪華クルーズ会社がチャリティーのために開催した『逆転のトライアングル』の上映会にオストルンドが招かれ、スピーチをしたときがそうだった。「あれはちょっと意外でしたね」と彼は笑う。「自分がやろうとしたことが失敗に終わったのではないかと、自問自答しています」
オストルンドは、ハリウッドで流行している“イート・ザ・リッチ(金持ちを食いちぎれ)”というようなワンパターンな考え方は好きではない。とはいえ、彼はこのトレンドを作ったとも言われている。不平等に関する議論は個人に焦点を置きすぎていると彼は述べる(けれども「億万長者は税金を払うのを好まないというのは事実だ」と彼はつけ加えた)。『逆転のトライアングル』で彼が意図したのは、階級と特権を支える経済的・社会的な構造そのものを追求することだった。
彼の母親によって培われたマルクス主義政治への理解は、ウディ・ハレルソンが演じる共産主義者の船長役や、災難によって立場が逆転する客船の階層化された社会を描くのに役立った。「左翼主義はハリウッドとほとんど同じように社会を描写します。金持ちの資本家は悪で、底辺の貧しい人々は純粋でいい人たち」と彼は言う。
「左翼主義者はマルクスのことを忘れてしまったようですよね? 私たちの行動は、経済的、社会的構造において、どのポジションにいるかに由来します」。もちろん、それは彼自身にも当てはまる。「私は自分が主人公たちよりも恵まれているとも劣っているとも思っていません」